『J-POP』の中に芽生える『新・歌謡曲』

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歌謡曲という言葉はすっかりすたれてしまった。1970年代頃から音楽ジャンルの細分化、先鋭化が激しくなり歌謡曲という言葉が持っていた「普遍的」で「詩や文学に通じる要素があり」、「子供からお年寄りまで誰もが好み、くちずさめる」要素はあまり重要視されなくなっていった。

単なるヒットポップスを指す言葉としても、1990年代初頭に『J-POP』という無味乾燥な言葉にその座を追われている。しかし僕は21世紀に入る前後から、J-POPの中にかつての歌謡曲の要素を備えた音楽……『新・歌謡曲』とでも言える楽曲が、少しずつではあるが復権してきていると感じている。

今後、このコンテンツ『現代によみがえる新・歌謡曲』では具体的に新・歌謡曲にあたる楽曲やアーティストを紹介していく予定だ。コンテンツ新設にあたり、今回は歌謡曲がどのようにJ-POPに移り変わり、またその中から『新・歌謡曲』がどのように生まれているかを解説させていただきたい。

オリコン年間ランキングで見るヒットポップスの変遷

わかりやすいように、解説に加えて1970年代から2013年までのオリコン年間1位曲と歌い手の属性の表を作った。音楽ジャンルとは別に、作家が作った楽曲を歌うものを『歌手』『アイドル』、自作自演するものを『バンド』『アーティスト』として区別している。

年間1位曲だけで音楽市場を判断するのは少々乱暴に思われるかもしれないが、実際にヒット・ランキングを分析してみるとそれぞれの年代の社会背景やニーズ、ヒット曲の大勢をよく反映していることがよくわかる。

また「社会現象を巻き起こした」などと形容される『○○ブーム』の多くが、実は後世の恣意的なクローズアップであって実はごく一部の層にのみ支持されていたに過ぎないことも見えてくる。

1970年代~『歌謡曲』の全盛期~

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1970年代


1970年代の年間1位曲は、宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』(1972・1973年度1位)を除いてはすべて職業作家が作った『歌手』と『アイドル』による楽曲。

いわゆる『歌謡曲』の全盛時代で『スター誕生!』や『レッツゴーヤング』、『ザ・ベストテン』などヒットポップスとテレビの結びつきが高まり、子供からお年寄りにまで支持される国民的ヒットが多数生まれていった。
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ぴんからトリオの『女のみち』。この時期の演歌は子供からお年寄りまで幅広い支持をうけるものが多かった


『フォークブーム』による"主張する"『アーティスト』の台頭もあったが、吉田拓郎『旅の宿』(1972年度4位)、かぐや姫『神田川』(1973年度6位)、さだまさし『関白宣言』(1979年度4位)などヒットした楽曲は文学的な風景描写も巧みで、従来の歌謡曲への歩み寄りが見られる。

まだまだ、若年層にしかわからない楽曲では大ヒットは狙えない時代だったと言える。
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並み居るフォーク勢の中でもポップセンス面では随一だったよしだたくろうの『旅の宿』


1980年代~『バンド』、『アーティスト』の台頭~

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1980年代


1970年代に『バンド』、『アーティスト』によるロック、フォーク、ニューミュージックが市民権を得たことにより、1980年代には彼らの音楽性の先鋭化が進んでゆく。

それでも当初はもんた&ブラザーズ『ダンシング・オールナイト』(1980年度1位)、寺尾聰『ルビーの指環』(1981年度1位)、安全地帯『ワインレッドの心』(1984年度年間2位)など、従来の歌謡曲の要素を取り入れて若年層から中年層まで幅広いアプローチに成功した楽曲もあった。
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1984年から1986年にかけてシングル、アルバムともに爆発的な売上を記録した安全地帯の初ヒットシングル『ワインレッドの心』。音楽番組で美空ひばりにカバーされたこともあった。


しかし、1980年代後半にはプリンセス・プリンセスやBOØWYを中心とした『バンドブーム』に代表されるように、若年層やジャンルの固定ファンのみをターゲットにしたヒット曲が増加してゆく。
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1980年代後半、十代の若者にカリスマ的な支持をうけたBOΦWY


『アイドル』の分野でもターゲットの低年齢化は進み、たのきんトリオやおニャン子クラブなど一部では楽曲の幼稚化、歌唱力の低下を指摘する批判もおこった。

一方、演歌系の『歌手』は若年層からの支持は失いつつも、まだまだ大川栄策『さざんかの宿』(1983年度1位)、瀬川瑛子『命くれない』(1987年度1位、1988年度20位)、吉幾三『雪國』(1987年度3位)など大きなヒットがあり存在感を保っている。

1980年代のヒットチャートは『アイドル』、『アーティスト』、『バンド』、『歌手』の四つ巴だが、以前のような国民的ヒット曲は生まれにくくなっていった。