海に沈んだもう一体の大仏様
大仏様は病気平癒の御礼として1759年に建立されました。青銅製で、高さ約5メートル、江戸の鋳物師西村和泉守藤原政時に依頼して作らせたもので、人々を救済してくださる釈迦如来の尊像です。
実は現在の大仏様は二代目であり、初代の大仏様は江戸から船で運搬中に嵐に遭遇してしまい、船員が沈没を避けるためにやむをえず遠州灘に沈めてしまったそうですが、佐吉翁は決して責めることなく「海に沈んだ仏様もきっと海を守ってくださるだろう」と言われたそうです。
そんな佐吉翁の意志を受け継いだ現在のお寺も、竹鼻町の商店街の中にある誰でもいつでも自由に参拝できるとても開放的なお寺で、近所のおばあちゃんが散歩の途中にお参りしたり、近所の子供たちも遊びにやってきたりして、人が途絶えることはありません。
もちろん大仏様にも佐吉翁は自身の名前を記しませんでした。しかし佐吉翁の死後、佐吉翁を慕う人々によっていつしか自然と『佐吉大仏』と呼ばれるようになったのです。
これが日本で唯一、個人の名前が付いた大仏様誕生の由縁です。
優しく微笑む大仏様。その御顔に佐吉翁のお人柄が偲ばれます。毎年10月10日の佐吉翁の命日にあわせて永田佐吉翁彰徳祭が行われています
今こそ佐吉翁の生き方に学ぶ
戦後の教育制度改革の中で教科書より佐吉翁の記述は消えてしまい、それから60年以上の月日が流れて、地元羽島市でも佐吉翁の事績を知らない世代も増えてしまいましたが、佐吉翁の事績、そして心を絶やしてはいけないと、現在佐吉大仏をお守りされている佐吉翁のご子孫の方々が、佐吉大仏を訪れる人々への案内解説や資料の配布など、佐吉翁の事績を伝える活動を長年ずっと行われてきました。
「ご先祖様というだけではなく、一人の人間の生き方として尊敬しています」とご当主の永田章さん。佐吉翁の無私無欲の精神に通ずるその活動に私も感銘を受けてきました。
そして、地道な活動が実を結び、市民有志の手によって『永田佐吉顕彰会』が発足し、佐吉翁の事績を市民の誇りとして後世に伝えていこうとしています。また『羽島市能楽を楽しむ会』によって創作能『竹鼻の大仏』が作られるなど、新たな形での佐吉翁再評価の動きも高まっています。
自分の名を残すことのみに躍起になっている方の多い現代。無私無欲の精神で人々のために尽くした佐吉翁の生き方は人々の心を打ちます。
ぜひ大仏様にお参りして、心を一休みしてみてはいかがでしょうか。
大仏様の背中の扉から、胎内に入ることもできます。他ではなかなか出来ない貴重な体験。入胎希望者はお寺の方にお申し出ください
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佐吉大仏(大仏寺)
岐阜県羽島市竹鼻町209
058-391-5032
ホームページ:http://blog.livedoor.jp/kannon0018/
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