世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

ヒエラポリス - パムッカレ/トルコ(3ページ目)

紀元前から伝わる温泉の湯煙にフワフワと揺れる綿の城パムッカレ。100以上も連なる不思議な石灰棚の上にはローマ時代の円形劇場が旅情を誘う。今回はトルコの複合遺産「ヒエラポリス - パムッカレ」を紹介する。

長谷川 大

長谷川 大

世界遺産 ガイド

得意ジャンルは世界遺産・世界史・海外情勢・海外旅行・哲学・芸術等。世界遺産マイスター、世界遺産検定1級文部科学大臣賞受賞。出版社で編集者として勤務したのち世界一周の旅に出る。現在は東南アジアを拠点に海外旅行を継続しながらフリーの編集者・ライターとして活動。訪問国数は約100、世界遺産は約250に及ぶ。

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ヒエラポリスの歴史1. 王妃ヒエラの街

ハドリアヌス帝によって建築された円形劇場。中央で手を叩くと思いのほか響く ©牧哲雄

ハドリアヌス帝によって建築された円形劇場。中央で手を叩くと思いのほか響く ©牧哲雄

TVなどで猿が温泉につかる姿をよく見かけると思うが、人類も昔から寒さをまぎらわすために温泉につかってきたし、温泉にケガや病気を治す効果があることを知っていた。

円形劇場の外周部。周囲には未整理の破片や遺構があちらこちらに転がっている ©牧哲雄

円形劇場の外周部。周囲には未整理の破片や遺構があちらこちらに転がっている ©牧哲雄

トルコのある半島を小アジアと呼ぶが、小アジアはギリシアとメソポタミア、エジプト、シルクロードを接続する交通の要衝にあって、いつも戦乱の絶えることのない土地だった。

現在イスタンブールの南に位置し、ペルガマと呼ばれる都市になっている都市国家ペルガモン王国は、紀元前2世紀にヘレニズム文化の中心地として栄えていた。国王エウメネスはこの機に勢力を広げると、パムッカレの地に要塞を建設して軍事拠点とした。

この拠点はペルガモン王国初代国王テレフォスの王妃ヒエラの名がつけられて、ヒエラの街(ポリス)=ヒエラポリスと呼ばれた。

 

ヒエラポリスの歴史2. ローマの征服から現在まで

パムッカレ・テルメル(遺跡プール)

温泉に沈むローマ遺跡が神秘的な遺跡プール。源泉部は水深4~5mにもなり、水中眼鏡をつけて潜れば、泡を伴った水が水底から湧き上がる様子を眺めることができる ©牧哲雄

やがてヒエラポリスは大地震で壊滅的な被害を受け、ほぼ同時期にローマ帝国が小アジアを征服すると、ペルガモンはついにローマの属州となる。

かつてローマ遺跡を飾っていた彫刻 ©牧哲雄

かつてローマ遺跡を飾っていた彫刻 ©牧哲雄

カラカラ帝をはじめとするローマの歴代皇帝はこの地を愛し、浴場を作って治療所としたほか、神殿や劇場、共同墓地を建設して温泉都市を築き上げた。都市として人が集まりだすと豊富な水源を活かして綿花や穀物の栽培なども盛んになり、7世紀にイスラム勢力がこの地に侵入してからも大いに繁栄したという。

セルジューク朝の成立以降衰退していたパムッカレは1354年に大地震にあい、都市は完全に崩壊。これ以降この都市は放棄されてしまう。

パムッカレはやがてふたたび温泉場として注目を集めるようになるが、ヒエラポリスは土に埋もれたまま忘れ去られ、20世紀に入って修復されるまで日を見ることはなかった。
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