ヒエラポリスの歴史1. 王妃ヒエラの街
ハドリアヌス帝によって建築された円形劇場。中央で手を叩くと思いのほか響く ©牧哲雄
円形劇場の外周部。周囲には未整理の破片や遺構があちらこちらに転がっている ©牧哲雄
現在イスタンブールの南に位置し、ペルガマと呼ばれる都市になっている都市国家ペルガモン王国は、紀元前2世紀にヘレニズム文化の中心地として栄えていた。国王エウメネスはこの機に勢力を広げると、パムッカレの地に要塞を建設して軍事拠点とした。
この拠点はペルガモン王国初代国王テレフォスの王妃ヒエラの名がつけられて、ヒエラの街(ポリス)=ヒエラポリスと呼ばれた。
ヒエラポリスの歴史2. ローマの征服から現在まで
温泉に沈むローマ遺跡が神秘的な遺跡プール。源泉部は水深4~5mにもなり、水中眼鏡をつけて潜れば、泡を伴った水が水底から湧き上がる様子を眺めることができる ©牧哲雄
かつてローマ遺跡を飾っていた彫刻 ©牧哲雄
セルジューク朝の成立以降衰退していたパムッカレは1354年に大地震にあい、都市は完全に崩壊。これ以降この都市は放棄されてしまう。
パムッカレはやがてふたたび温泉場として注目を集めるようになるが、ヒエラポリスは土に埋もれたまま忘れ去られ、20世紀に入って修復されるまで日を見ることはなかった。