マテ・カマラス 76年ハンガリー生まれ。ブダペストとロンドンの演劇学校で学ぶ。ウィーンで『ダンス・オブ・ヴァンパイア』ヘルベルト、ウィーンとブダペストで『エリザベート』トート等を演じ、ミュージカルスターとしての地位を確立する一方、ロックシンガーとしても活躍。06年12月に初来日。11年の『MITSUKO』、12年の東宝版『エリザベート』では全篇日本語で出演。(C) Marino Matsushima
冷戦時代のチェスの国際大会を舞台に、国の威信をかけて戦う米露の代表とアシスタント女性の葛藤を描いた『CHESS(チェス)』。ABBAのビョルン・ウルヴァース&ベニー・アンダーソンによる、ポップさとダイナミズムを併せ持った音楽、ティム・ライスによる男女の心の機微をこまやかに描いた台本にもかかわらず、国家に飲み込まれる個人というテーマの難しさ、そして冷戦という、歴史的な評価がまだ十分定まっていない時代背景もあって、本作はミュージカル史上最も、上演が難しい作品の一つと言われて来ました。
『CHESS in Concert』12年の公演より、安蘭けい、石井一孝。撮影:村尾昌美 写真提供:梅田芸術劇場
――マテさんはこれまで、『チェス』にはヨーロッパで2回出演されているのですね。
(日本語で)はい。ハンガリーと、ノルウェーの…うーん、町の名前…ベルゲン!ベルゲンのオペラハウスで。(以降ドイツ語で)どちらもフレディ役でした。ベルゲンでは、地元のオペラカンパニーの客演という形で、ロシア人役はドイツを拠点に活動するアメリカ人俳優、アメリカ人役がハンガリー人の僕という配役でした。
――ということは、マテさんにとっては既に身近な作品でしょうか。
2007年のウィーン版来日公演『エリザベート』撮影:岸隆子 写真提供:梅田芸術劇場
――『チェス』でロシア人と恋に落ちるものの、アメリカという国家に利用されてしまうフローレンス役は、56年のハンガリー動乱で英国に亡命したという設定です。冷戦はもちろん、ハンガリー動乱を織り込んだミュージカルは非常に珍しいと思いますが、ハンガリー人としてはこの作品をどうご覧になっていますか?
私は共産圏を体験しています(注・ハンガリーはマテさんが13歳だった1989年にハンガリー共和国となるまで社会主義国)。当時の共産圏のプロパガンダは「私たちは君たちを西側から守っているのだ」というものでしたが、国境沿いの川では兵士が立っていて、不思議なことに西側ではなく僕たちに銃を向けていました。観光船のようなものがあり、西側に亡命したい人はそこから川に飛び込みましたが、船には秘密警察が乗り込んでいて、飛び込んだ人を容赦なく撃っていたというビデオを見たこともあります。異様な光景でした。
56年には多くのハンガリー人が亡命しましたが、帰国しようものなら即、逮捕されて刑務所行きです。それでも故郷を思う一心で、刑務所行きを覚悟しながら戻った人もいる。『チェス』には亡命した人物が「祖国を愛しているけれどもう戻れない」と歌うナンバーもありますが、こういう背景を知った上で聴くと、とても重いナンバーに聴こえるのではないでしょうか。表向きにはチェスの試合に恋愛模様が絡む話ですが、私には、対立する体制の人々が対話をするチャンスを与えられる物語に思えます。
――マテさんにとっては軽々しく扱えない作品なのですね。
国境を作る、人間を隔てるということは、人間が考え出した一番悲しいことなのではないかと私は思います。人間は本来、相互理解ができる筈。作られた憎しみの背景には、ゆがんだ政治があります。戦争映画を見ると、例えば敵を殺した兵士が相手の亡骸のポケットから、家族の写真を見つけるシーンがよく出てきますよね。僕はこういうシーンを見ると「ああ、人間の心は国など関係なく、みな同じなのだ」と胸を打たれます。民族だとか国籍といったことは、表面的なこと。人間は本来皆、同じなのだと認識できれば、世界はもっと良くなるのではと、僕は切に思うのです。
――今回のアービターという役をどうとらえていらっしゃいますか?
アービターは東西のパワーゲームなどはどうでもよくて、チェスのことにしか関心がない。「真実は相対的なものであって絶対的なものではない」ということを表すのに、この役はとても重要なのではないでしょうか。ヨーロッパ人として、(今回日本人キャストの中で)この役を演じることの意義を感じます。ナンバーもクールですよ。
――狂言回し的な役ですが、途中で消えてしまうのが少々残念です。
僕は今回、このプロダクションにアーティストとして尊厳を持って迎えていただいていることをとても喜んでいますし、これまで出演した作品よりずっと(日本語の)台詞が多いので、とても楽しみです。以前より少しは僕の日本語も進歩しているので、みなさんにもそう感じていただけるのではないかな。全編歌い続ける『エリザベート』のトートと違って、短い出番の中で自分を出し尽くすことも今回の課題です。
今回のプロダクションで自分がアービターとして何ができるのか、まだ模索中ですが、狂言回しという意味では、『エリザベート』のルキーニに類する役なのですよね。もしかしたらルキーニのように、作品の中から出たり入ったりする存在として、もっとアービターを活躍させても面白いかもしれません。
――いつか、マテさんの演じるアナトリー役も観てみたいです。
僕は個人的に、アナトリーにとても興味を持っています。東から西へと、サイドを変える。それはとても劇的な変化だと思います。今後、そんな機会があったら嬉しいですね。
――ウィーンを拠点に、ヨーロッパで順風満帆なキャリアを積んでいたあなたが、日本で本格的に活動をされようと思ったのはなぜですか? 日本は地理的にも遠く、言語も文化もヨーロッパとは全く異なりますよね。
「MITSUKO」安蘭けいさんと。撮影:村尾昌美 写真提供:梅田芸術劇場
初来日は2006年12月16日。その前日、コンサートをやって疲れて帰宅し、「明日は東京だな。大好きな寿司の国…」なんて思いながら荷物をパッキングしたことを覚えています。その程度の認識しかなかった日本ですが、来てみたら、「わー!」と感動することの連続。4日間の滞在中毎日、その時のプロデューサーに「日本で仕事をしたい!」と訴え続けました。オーストリアの『エリザベート』ではトルコ人やオランダ人が出演しているし、東京もいろんな国籍の人がいる国際都市だから、僕が出演することも可能だろうと思ってしまったんです(笑)。
東宝版『エリザベート』写真提供:東宝演劇部
例えば、僕は箸で食事をするのが好きです。ナイフとフォークという金属ではなく、木製の箸を使って口に食べ物を運ぶという行為を素敵だと思います。でもこれは、日本に来ないとわからないことでした。ヨーロッパではナイフとフォークを使うのが当たり前で、箸という選択肢はありませんでしたから。日本に来て箸に触れることで、自分が何を好きなのかを知りました。異文化を通じて、これまで気づかなかった自分自身を発見することができたんです。
東宝版『エリザベート』春野寿美礼さんと。写真提供:東宝演劇部
日本に来るまで僕は、「一緒に頑張ろう」とはどういうことかを知りませんでした。ヨーロッパでは皆、「私、私、私」と主張しあう風潮があると感じますが、日本では「一緒」とか「和」という概念がとても大事なんですよね。それはとても素晴らしいと思うので、ヨーロッパに帰ると「和」の心をできる限り広めようと心掛けています。
――どんな表現者を目指していますか?
2009年の『LOVE LEGEND』で湖月わたるさんらと「My Sharona」を熱唱。写真提供:梅田芸術劇場
*公演情報*『CHESS in Concert』2013年12月12~15日=東京国際フォーラムホールC、12月20~22日=梅田芸術劇場メインホール
*次ページで観劇レポートを掲載しています!