住みたい街 首都圏/住みたい街の見つけ方

街選びという新しい考え方

家を買う、借りる場合には、どこに買うかをまず考えます。街選びから家選びが始まるわけで、多くの人はそれが当然と思っているでしょうが、実は街を自由に選べるようになったのは最近のこと。その意味、変遷を見ていきましょう。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

自分で住む場所を選べるようになったのは
明治になってから

江戸城

江戸城(現在の皇居)は武蔵野台地の突端という恵まれた高台にある。現在の日比谷あたりは入江になっており、その先はもちろん海(クリックで拡大)

江戸時代、住む場所は身分によって厳密に定められていました。当時の江戸市中(朱引き地)の住居区分は武家地69%、寺社地15%、残り16%が町人地といわれ、町人は狭い、低湿な土地に住まざるを得ませんでした。一方、武家地、寺社地は概して高台のいいロケーションにはありましたが、基本、拝領地であり、大大名ですら、幕府の意向であちこちに転ぜられることがあったのは歴史好きなら周知の事実でしょう。ひとつ、注意したいのは殿様のお屋敷でも、すべてが高台にあったわけではないという点。埋立地、低地にお屋敷がある例も少なくないのです。

 

もちろん、全く私有地がなかったわけではなく、武家地などの拝領地には適用されませんでしたが、一部の町人地には沽券(土地・家屋などの売却証文)による売渡地、沽券地がありました。しかし、沽券地の売買に関しては、それが親類縁者に対する譲渡であっても近隣から文句が出るなどすると適わないこともあったそうで、現在のような完全な私有権ではなかったようです。

明治維新後、明治2年には旧武家地のうち、約300万坪(990万平米)を対象に、殖産興業の見地から桑や茶を植える、いわゆる桑茶政策が取られています。しかし、管理が面倒なこともあり、そのすぐ後、明治5年にはこの政策が廃止、旧武家地や桑茶畑を貸付人に廉価で払い下げ、地券を発行することになります。これが日本での土地私有の始まりです。

面白いのは、この時点での地価は現在の西高東低ではなく、西低東高だったこと。この時の払い下げは上中下の3等級に分けられているのですが、江戸城近くが上等であることは分かるものの、浅草、本所、深川が中等で、青山、渋谷、白金、四谷などは下等。明治以降、東京の中心は東から西へ移動していきますが、この時点ではまだ移動は始まっていないことが分かります。また、単位が1000坪という非常に大雑把なものであることから、売買にあたって街という感覚がないことも分かります。

第二次世界大戦終了までの住宅選びは
環境重視、利便性は二の次

田園調布駅

昭和初期までに分譲された住宅地の多くは高台にある。その当時はまだ今ほど建物が建て込んでいなかったため、高台かどうかは容易に識別できたはずだ(クリックで拡大)

土地所有が私有化されたとはいえ、明治時代に土地を所有していた人たちは非常に偏っていました。明治41年の平民新聞には東京の大地主を攻撃するレポートが発表されますが、当時の東京の宅地の総面積の4分の1をわずか100人余が所有していたといえば、集中ぶりがお分かりいただけるでしょう。当然、これに対して土地開放を迫る動きがあり、明治から大正にかけては爵位保持者の土地開放、所有地の宅地化などが行われています。渋沢栄一率いる田園都市株式会社による田園調布や洗足などの宅地分譲もこの時代です。

 

さて、この時代に分譲、宅地化された土地にはいくつかの共通点があります。ひとつは関東大震災の影響。震災時に影響の少なかった首都圏の西側、武蔵野台地への人口移動がこの時期に開始したこと。ただ、東日本大震災後の私たちのように、地盤が住まい選びで重要というところまで認識していたかどうかは微妙です。

環境を最優先していたことも共通する特徴です。田園都市株式会社はある冊子で田園都市の特徴として7つの点を上げていますが、その筆頭にあるのは「土地高燥にして大気清純なること」。続くのは「地質良好にして樹木多きこと」。江戸から明治にかけての庶民の住宅が低湿地に立地することが多かったことを考えると、この時代の街選びで大事なのは緑が多く、空気のきれいな高台であることだったと思われます。

一方で利便性はさほど重視されていません。田園調布、洗足その他では一応商店街は作られていますが、住環境重視のため、住宅エリアとは離れて作られており、かつそれほど充実もしていません。また、かつての住宅の間取りを見てみると女中部屋のある住宅が多く、家事の多くは主婦の仕事ではなかった様子。現在のように商店街やスーパーの近くはかえって嫌われた可能性が高いのではないでしょうか。

また、江戸時代の住宅と大きく違うのは職住分離を目指して作られていることです。欧米の田園都市は商業、工業、住宅、農業の4地域を含むものとされます、日本の田園都市は工業は確実に除外、商業も遠くに追いやっており、そもそも農業エリアには立地していません。戦国時代の兵農分離が都市を作ったように、職住分離が現在の住宅街を作っているというわけです。

入居者間に一緒に街を作っていこうという意識が強かったことも特徴のひとつ。当時開発された街には今も、社団法人洗足会、田園調布の田園調布会、城南田園住宅組合などといった団体が、当時ほどではないものの活動を続けています。

続いて戦後の「遠くてもいい、買えさえすれば」の時代を見ていきましょう。

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