深い悲しみと寂しさの中でおじいさんが思い出したもの
伴侶を亡くしたおじいさん。最初のページのおじいさんには、体全体に、そしておじいさんの周りの空気にも寂しさが満ちています。生気を失ったおじいさんは、牛乳屋さんが持ってきてくれたミルクを飲んで、買ってきたパンを食べて、1日中座って過ごし、幾日もが過ぎました。そんなおじいさんはある朝、目が覚めてつぶやきます。「あったかいスープが のみたいなあ。おばあさんがつくってくれた おだんごスープが のみたいなあ」。おじいさんの家の台所には、大きさの違う鍋が5つ、並んで置かれていました。おじいさんは、一番小さい鍋を使い、自分のためにスープを作ろうと思い立ちました。その時おじいさんに、生前のおばあさんが、スープを作るときにいつも歌っていた歌が浮かんできました。
「ぐらぐらおゆに おにくのだんご まるめて ぽとん、さいごに しおとバターとこしょうを少々・・・・・・」。
おじいさんは市場に出かけ、ひきにくを買ってきます。おばあさん亡き後、おじいさんが初めて、自分から起こした行動でした。
おだんごスープが完成すると、美味しそうなにおいにつられたか、3匹のねずみが登場します。腰をかがめ、ねずみたちに優しい眼差しを向けるおじいさん。小さな鍋からねずみたちにスープを分けて与えてやると、おじいさんの分は少ししか残りませんでした。
おばあさんの歌がよみがえっていくにつれ、にぎやかになるおうち
おじいさんが思い出したおばあさんの歌は、実は一部でしかありませんでした。おじいさんは、訪れる来客のために、1つずつ大きな鍋に替えて毎日おだんごスープを作るたびに、おばあさんの歌の全体を少しずつ思い出していきます。鍋が段々大きくなり、おじいさんのおだんごスープがおばあさんの味に近づくにつれて、さらにたくさんの来客が、おじいさんの家を訪れます。最後には、一番大きな鍋を使って作ったおだんごスープでも、おじいさんの分は少ししか残らないほど、家はにぎやかな来客たちでいっぱいになりました。読み進むにつれ、おじいさんとおばあさんがこれまで築いてきた暮らしに、思いがめぐります。2人とも元々、周囲の人や動物に向けて、温かいまなざしを持っていたのかもしれません。おばあさんが作る料理に、鼻をひくつかせている存在が、おばあさんが亡くなる前からいたのかもしれません。おばあさんという存在を失って沈んでいたおじいさんですが、おばあさんが亡くなる前から、近所に住む人たちと交流していたのでしょうか。それとも、おだんごスープがきっかけになり、家族以外との交流の温かさに気付いたのでしょうか。
いずれにしても、大勢のかわいい来客をもてなすおじいさんは、とても忙しそうで、次第に生き生きとした若々しい表情に変わっていきます。空になった鍋やたくさんのお皿を目の前に「よし、あしたは ぜんぶのおなべにスープをつくるぞ」と考えるのです。
必要としてくれる存在がいる
人は大切な存在を失った時、色々な形でその現実を受け止めようとします。死という永遠の別れほど苦しいことはなく、引きとめたくてもそれが現実になってしまった。帰ってきてほしいけれどそれはかなわない。だから、その人との思い出をどこまでも繰り返し振り返る。別れの儀式をして気持ちに区切りをつけようとする。悲しく寂しいですが、それしかできません。家族に先立たれた悲しみ、寂しさ。この世界中に、常に存在するもの。生あるものが営む毎日の中で、繰り返される出来事。亡くなった人を思う気持ちは、ポツンとその場に置かれたままで、日常は淡々と流れていきます。そんな中で心を癒してくれるのは、やはり、時間の流れと、周囲の存在とのやりとり、自分以外の存在のために何かをするという行為なのでしょうか。おじいさんにとっては、そのきっかけとなったのが、おばあさんが作ってくれた美味しい「おだんごスープ」でした。自分がこの世からいなくなった時に、残された大切な人たちに遺せるものは何だろうかと思い、大切な人と過ごす日常のひとこまひとこまについて、思いが巡りました。
おだんごスープを食べつくした客たちがいなくなり、1人ぼっちになったおじいさんの顔は、これから先を眺めているようです。最後のページのおじいさんの笑顔は、命には限りがあるということをおぼろげに認識し出す、幼児期の子どもの心にも響くようです。「おだんごスープ、作って!」という声に、我が家独自の味のおだんごスープを作りたくなってしまうかもしれませんよ。