日本の土着音楽 ズンドコ節
田端義夫、小林旭、ザ・ドリフターズ、氷川きよしなどさまざまな歌手によって歌われている『ズンドコ節』。戦前、戦後生まれの世代はもちろん、今の十代、二十代までおそらく一度くらいは耳にしたことがあるはずだ。しかし、その知名度とは別に「ズンドコ節ってなに?」というところまで考えた人は案外少ないのではないだろうか。単なる曲名なのか?それともジャンル?
今回はふだん見過ごされがちな日本の土着音楽『ズンドコ節』に注目し、その起源から音楽的定義、時代による変遷までを分析していきたい。
まんだらけによって特定されたズンドコ節創始者
ズンドコ節の元祖は『海軍小唄』。この曲は1940年代の戦時中に自然発生的に流行したため、長く作曲者不明として扱われてきた。後世、『海軍小唄』にヒントを得て作られたさまざまなズンドコ節も、それぞれに作曲者名がクレジットされることもあるが、元歌に敬意を払うためか作曲者不明と表記されることが多かった。ところが2012年になってようやく『海軍小唄』の作曲者が判明している。
『海軍小唄』の作曲者を特定したのはおたくカルチャーの牽引役として有名な『まんだらけ』。まんだらけがスタッフ歌唱による『まんだらけズンドコ節』を制作するにあたり調査したのだが、それによると作曲者は福岡県門司(現・北九州市)出身のM・K。彼が作った曲が、彼自身の軍隊経験(予科練~陸軍)がきっかけとなり、海軍の兵士たちの間で『海軍小唄』として流行し、今に至ったというのだ。ちなみにM・Kは出征後まもなく、ズンドコ節の隆盛を知らないまま戦死している。
ズンドコ節とは
ズンドコ節は戦後、さまざまな歌手にアレンジ、カバーされ発展していった。先にあげた理由もあり「ズンドコ節=海軍小唄」「小林旭やドリフターズのズンドコ節は海軍小唄の替え歌」ととらえる向きもあるが、70年の歴史の中で、替え歌という表現では済まないほど多種多様に発展しているのも事実だ。ズンドコ節を一音楽ジャンルとしてとらえた場合、筆者が欠かせないと思う定義はわずか3点。
サビ、もしくは合いの手が「ズンドコ~」であること
「ズンドコ~」以外の歌部分がおおよそ8小節におさまること
その時代にマッチした若者の想いが歌われていること。
初めの2点はともかく"若者の想い"という言葉を一口に説明するのは困難なので、参考に『海軍小唄』の歌詞を一部引用する。
時代背景を考えるときわめて反抗的で、若者らしい率直さ、自由や平和への痛切な願いが感じられる歌詞だ。ブルースやHIP HOPにも共通する反骨心、パッション、ソウル。構成と、この心情的な部分さえ押さえておけば、あとはコードが複雑化しようがリズムやサウンドが変わろうがズンドコ節として成立するのだ。汽車の窓から 手を握り
送ってくれた 人よりも
ホームの蔭で 泣いていた
可愛いあの娘が 忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
花は桜木 人は武士
語ってくれた 人よりも
港の隅で 泣いていた
可愛いあの娘が 目に浮かぶ
トコズンドコ ズンドコ
ズンドコ節の発展
『海軍小唄』はその名の通り小唄調だったが、その後のズンドコ節は時代を経るごとにジャズ、ロック、打ち込みなどさまざまな要素を取り入れて発展を続けている。代表的、またはその変遷を知るために重要なものは以下の通り。終戦後間もない時期にブギウギのモダンなサウンドを取り入れ、ズンドコ節を初めて近代ポップスに昇華した田端義夫の『街の伊達男(ズンドコ節)』(1947年)
ホーンセクションが効いたジャジーなサウンドに、リズムをとらえ「ズン ズンズン ズンドコ」と迫りくるようなロック風味のサビが特徴的な小林旭の『アキラのズンドコ節』(1960年)
小林旭
小林旭に見られたサビのアレンジをさらに一歩進め、「ズンズンズンズンズンズンドコ」とR&B風のファンキーなベースラインを歌ったザ・ドリフターズの『ドリフのズンドコ節』(1969年)
ザ・ドリフターズ
80’S丸出しのシンセサウンドに硬派な合唱で「ズズン ズズン ズンズンドコ」と押しまくる『零心会』(一世風靡セピアの関連グループ)の『零心会のズンドコ節』(1986年)
零心会
『アキラのズンドコ節』を踏襲しているのだけ(ご本人も2010年のコンサートで「何の挨拶もなくパクられた。」とお怒りになっていた。)で特にオリジナリティーが無く音楽的にさほど重要ではないが、それなりにヒットしたという点で外しがたい『きよしのズンドコ節』(2002年)
氷川きよし
そして世界のズンドコ節へ
国内のみならず、世界でのズンドコ節への評価も近年めざましいものがあるようだ。レ・ロマネスク
たとえばこんなエピソードがある。2009年、日本人のパフォーマンスデュオ『レ・ロマネスク』がフランスのTV番組『La France a un incroyable talent』でフランス語版の『Zoun-Doko Bushi』を披露した際のこと。パリの暮らしにくさを皮肉った歌詞に初めはブーイング浴びせていた観客だったが、次第にそのファンシーでアップテンポなビートに巻き込まれてゆき、最後には総立ちになって踊りだすという珍現象がおこったのだ。この番組の模様はYouTubeにも投稿され、なんとフランス国内で再生回数1位、世界4位を記録している。
また2012年に『夜明けのスキャット』リバイバルヒットの立役者になったアメリカのジャズバンド『ピンク・マルティーニ』も、ライブでここぞという時の盛り上げソングにズンドコ節を採りあげている。ズンドコ節が世界中で通用する音楽であることはもはや疑いようのない事実と言えるだろう。
いかがだっただろうか。ここまでズンドコ節を詳細に取り上げる記事も稀だと思うが、読者の方々に少しでも興味を深めていただければ幸いだ。日本の土着音楽……ジャパニーズ・ソウル・ミュージック……ズンドコ節が今後も音楽ジャンルとしての認知を高め、より良い曲を生み出していくことを期待してやまない。いや、他人にやられる前に自分がやってみようかな……