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馬場家に返還される伝統の三冠ベルト(2ページ目)

全日本プロレスの至宝・三冠ヘビー級王座の3本のベルトが8月25日の諏訪魔vs潮崎豪のタイトルマッチをもってジャイアント馬場家に返還されることになりました。三冠王座とはインターナショナルヘビー級、PWFヘビー級、UNヘビー級の3つのタイトルを統合したもの。今こそ、この歴史と伝統のある3大王座の歴史を知りましょう。

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

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王道は3本のベルトから新たな1本のベルトに継承される

こうした経緯で全日本プロレスにはインター、PWF、UNの3人のチャンピオンが存在しましたが、88年に「誰が最強なのか決めよう!」という気運が盛り上がり、UN王者の天龍がPWF王者スタン・ハンセンを破ってPWF&UN2冠王に。そして同年4月15日の大阪でPWF&UN王者・天龍とインター王者ブルーザー・ブロディによる史上初の三冠統一戦が行われましたが、両者リングアウトによって王座統一は成りませんでした。その後、インター王座は鶴田、UN&PWF王座はハンセンに移動。この2人の対決もなかなか決着がつかず、89年4月18日の東京・大田区体育館の3度目の対決で遂に鶴田が勝利して三冠統一を成し遂げました。

その後、新たなひとつのタイトルにする案もありましたが、それぞれの王座の歴史と伝統を重んじて「三冠ヘビー級王座」として、チャンピオンは3本のベルトを保持してきました。どのベルトを腰に巻くかはチャンピオンによって思い入れがあり、鶴田、川田利明、小橋建太は力道山、馬場、鶴田と受け継がれた日本プロレス界の正統エースの証とも言うべきインターのベルトを巻いていました。三沢光晴は腰に巻くよりも3本のベルトを肩にかけるのを好み、武藤敬司は3本をすべて腰に巻くスタイル。天龍は愛着のあるUNを巻き、その天龍に憧れていた諏訪魔もUNを巻いていましたが、この7月に全日本プロレスが新体制になってからは「これが全日本のルーツだから」とPWFのベルトを巻くようになりました。00年6月に全日本を離脱、11年10月にプロレスリング・ノア所属として三冠王者になった秋山準は、馬場元子夫人に電話を入れて承諾を得た上でPWFを巻いていました。新王者が誕生した時にどのベルトを巻くのかを見るのもマニアにとっては楽しみのひとつでした。

その3本のベルトは統一された時同じ会場で24年4ヵ月にして役目を終えることになります。現王者の諏訪魔は「勝って、守って、自分の手で元子さんにお返ししたい」とキッパリ。今後は馬場元子夫人の了承を得て、三冠ヘビー級王座の名前は継続、新たにベルトを作ることになります。

「元子さんと話をした時に“かなり古くてひどい状態になったわね”と。やはり大事に保管したい思いがあったんだろうし、こちらとしても新たなベルトを作る時期かなという思いもあったから、お互いの思いがいいタイミングで合ったということです。ただし、これからいくら凄い3本のベルトを作っても、この3本には敵わない。歴史が違うんだからね。だったら1本にして新しくやっていくのがいいいと思います」と言うのは渕正信相談役。

歴史と伝統の3本のベルトは封印されるますが、その王道は新たなベルトに宿り、諏訪魔や潮崎といった新たなエースたちによって受け継がれていくのです。

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