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チョコボール向井という生き方

「本物だけが残る時代になっていきますよ」。“プロレスラー”チョコボール向井は真剣な表情で語った。1999年FMWのリングに上がって以来、企画モノだけで終わりそうだった向井は、意外な進化を遂げ続けている。

執筆者:川頭 広卓

一発屋レスラー “AV男優”向井誕生

“プロレスラー”チョコボール向井。その生き方は、強くもあり、しなやかでもある
当時から抜群の知名度を誇った“AV男優”向井がプロレスラーとしてFMWのリングに上がったのは今から6年前の1999年9月だった。いくらレスラーを志していたとはいえ、AV男優のリング登場には違和感と同時に単なる企画モノという印象も伴なっていた。

事実、当時のFMWはエンターテインメント路線を全面に打ち出し、AV女優がリングのサイドストーリーに絡むことも多く、あの手この手で話題を振りまいた。だからこそ、向井のリング登場は、誰もが企画の一つとして、一過性のものだと思ったに違いない。当の向井を除いては…。

徹底した叩き潰しという洗礼

後楽園ホールのリングに登場し、プロレスラーとしてデビューを果たした向井。試合でも“それなりの”ファイトを見せ話題作りはひとまず成功した。同年11月には横浜アリーナで行われたFMWの10周年記念大会にも出場し、AV男優との“二足の草鞋”は順調な滑り出しをみせる。

しかし、“リアルプロレスラー”を志す向井の気概を試すかの如く、試練はすぐに訪れた。

横浜アリーナ大会直後の後楽園ホール。ここで向井を待っていたのは先輩レスラーらによる“洗礼”だった。向井はぐうの音も出ない程の徹底した叩き潰しに合ってしまう。表面的には、“横浜アリーナ大会のリベンジマッチ”という設定ではあったが、対戦相手の邪道、外道は向井に反撃の余地すら与えず、ひたすら攻撃を加える。エンターテインメントという枠から明らかに逸脱した壮絶な叩き潰し。それは向井をレスラーとして認めるには早いという暗黙の通告であった。

「本物は必ず生き残る」チョコボール向井という名のエンターテインメント

誰もがAV男優へ戻るものと思ったに違いない。それでもプロレスラーへの夢を捨てきれずにいた向井はこの翌年、新人レスラーとして一から出直しを図る。結果、AV男優として頂点を極めた男は、3ヶ月間の新弟子期間を経て、再デビューへと辿りついた。

「18歳の頃に新日本プロレスに1週間いたのが大きいですよね」

同じような経験は過去にもあった。向井は、AV男優への道を歩む前に一度はレスラーを目ざしている。新日本プロレスの門を叩き、入門したまでは良かったが、予想以上のしごきや厳しさに一週間で道場から逃げ出している。この挫折で味わった悔しさは、今も向井の原動力になっているという。

「キャリアももう6年ですよ。早いもんですね」

向井はしみじみと語った。チョコボール向井というプロレスラーは、着実に周囲の偏見を見返し、レスラーとしての実績を積み上げている。

そんな向井が2005年12月に初の自主興行を開催。これまでに培ってきた“AVとプロレスの融合”を掲げ、自らの総決算と位置づけた。興行は営業からキャスティング、マッチメークまで全てが手作り。当日の進行表に至っては、真面目で律儀な向井の性格を表すかのように、原稿用紙に手書きで作成されていた。

とりわけ、加藤鷹との絡みは抜群の宣伝材料となり、マスコミ各社がこぞって取り上げた。「駅弁vsゴールドフィンガー」、「加藤鷹には、当日指に保険をかけてこいと言いたい」と興行用の宣伝文句を一生懸命考えながらも、イベントの継続性について問われれば「もちろん、続けていきます。プロレス自体が誰でもが出来る時代になっているけど、本物は必ず残りますから」と自信を漲らせた。

「両方やって、初めて意義がある」。“二足の草鞋”は“チョコボール向井という名のエンターテインメント”へと進化を始めている。

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