日本プロレスの来歴をひも解く

プロレス界の父「力道山」。その真に迫る映画が公開された
日本におけるプロレスの歴史は、世界のそれと比べれば意外なほどに浅い。純粋なプロレスの歴史を辿ってみると、1760年以後イギリスはランカシャー地方に伝わるランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン=全身どこを攻撃してもよく、多彩な関節技があるのが特徴)がその起源といわれる。19世紀の終わりから20世紀にかけて、現在のようなプロレスの形成期となり、以後、プロレスは世界へ伝播を繰り返した。現在でこそプロレスは世界共通の文化として各地で進化を遂げ、歴史の根を張り続けているが、日本へ伝来されたのは、この100年も200年も後のこと。もちろん、日本人最初のプロレスラーが力道山だった訳でもない。

日本人初のプロレスラーが誕生したのは、力道山がこの世に生を受ける40年前のことだ。1883年、松田幸次郎(本名:荒竹光次郎)ら伊勢ヶ浜部屋の序の口力士がプロレスラー募集の船でアメリカへと渡った。翌年、松田は松田虎吉(トラキチ・マツダ)の名前でデビューを果たす。その後も、世界各地で日本人プロレスラーが活躍。前田光世(コンデ・コマ)、小島康弘(ヒロ・マツダ)という名前は、ファンなら一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

しかし、彼らが日本へプロレスを持ち込むことはなかった。1928年にはプロレス興行が日本で行われたといわれるが、やはり日本人にとってのプロレスは、1953年力道山が設立した日本プロレス協会に由来する。

1953年は、2月にNHK、8月に日本テレビと国内でテレビ放送が開始された歴史的な年。プロレスはテレビの最有力コンテンツとして切っても切り離せない存在となった。

そのきっかけとなったのは、翌1954年2月蔵前国技館で行われたプロレス興行。日本プロレス協会が力道山をメインに3日間連続で試合を開催。NHK(初日のみ)と日本テレビが実況生中継を行い、力道山がシャープ兄弟を相手に、後の代名詞となる空手チョップで奮闘する姿は戦後の日本人に生きる活力を与えた。

日本人がいちばん力道山を知らない

映画『力道山』(配給:株式会社ソニーピクチャーズエンタテインメント)は、等身大の人間「力道山」にスポットを当てた力作となった。その素性や39歳という若さで死に至るまで、国民的英雄と呼ばれたほどの人物にしては謎が多い。実際、公称されている生年月日も朝鮮半島出身かどうかさえも確証はなく、もちろん、この作品が「力道山真実の姿か」といわれると、そうではない。

しかし、偉人の伝記としては珍しいほど、頑固でわがまま、粗暴で高圧的な人間性をも大きく取り上げ、辛い下積み時代から栄光を掴む過程や、またその陰にあった苦悩や葛藤を切ないほど、迫真の如く描いている。映画のキャッチフレーズとなった「日本人がいちばん力道山を知らない」という台詞には妙に納得させられた。

力道山を演じたソル・ギョングは、その役づくりのため体重を28kg増量し、本物さながらのボディを体現。日本語の台詞も完璧にマスターし、若干のなまりが朝鮮出身の力道山をよりリアルに感じさせた。試合の場面では1万人以上のエキストラを動員し、街頭テレビに釘付けとなる国民や会場の観客までをも細かく描写。観ている誰もが高揚する歴史的名場面を作り上げた。

情景の描写や構成、役者陣に至るまでこれほど素晴らしい作品には、そうそう巡り合えるものではない。プロレスファンならずとも日本の生きた歴史を垣間見るには、またとない機会といえるのではないだろうか。

ちなみに、映画『力道山』では井村昌彦(木村政彦:船木誠勝 演)との一戦を前に、試合前の談合場面までも再現している。それはあたかもプロレスのショー的要素を現在まで否定し隠し続けた罪悪を、遠回しに嘲弄しているようでもあった。このときを境に、プロレスは世間を相手に長い長い闘いへと突入する。

<関連リンク>
映画『力道山』サイト

※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。