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曙で4人目!横綱レスラー列伝

10月27日、相撲の殿堂・両国国技館で第64代横綱の曙がプロレス転向8年にして全日本プロレスの三冠ヘビー級王者になりました。日本人初のプロレスラーのソラキチ・マツダ、日本のプロレスの開祖・力道山はいずれも相撲出身ということもあってかつては相撲出身のプロレスラーが数多くいました。しかし最高位の横綱からの転向は4人だけ。横綱レスラーの歴史を振り返ると同時に、なぜ曙だけが大成したのか探りましょう。

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

プロレスガイド

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三冠王者になった第64代横綱・曙

力道山に潰された初の横綱レスラー・東富士

さる10月27日、相撲の殿堂・両国国技館で第64代横綱の曙がプロレス転向8年にして全日本プロレスの三冠ヘビー級王者になりました。プロレスと相撲は縁が深く、今から129年前の1884年1月14日にニューヨークで初めてプロレスのリングに上がった日本人ソラキチ・マツダ(本名・松田幸次郎)は荒竹寅吉を四股名とした伊勢ヶ浜部屋の力士でした。1954年2月にシャープ兄弟を呼んでプロレス国際試合を開催してプロレス・ブームを起こし、日本のプロレスの開祖となった力道山はニ所ノ関部屋で関脇まで昇進した力士です。

そうしたこともあって、かつては相撲出身のプロレスラーが数多くいました。63年12月の力道山死去後、リング上のエースとして、後任の社長として、ジャイアント馬場にバトンタッチするまで日本プロレスを守ったのは立浪部屋出身の豊登道春(最高位・前頭15枚目)。その後、日本のプロレス界のトップに立ったのは馬場&アントニオ猪木をフォールした唯一の日本人レスラーとして“ミスター・プロレス”と呼ばれた天龍源一郎(最高位・西前頭筆頭)です。

相撲の最高位・横綱は、日本相撲協会が初代横綱に認定している明石志賀之助(江戸時代前期の1620年代に活躍したとされる)から400年に及ぶ歴史の中で日馬富士公平まで70人しかいません。その中から第40代・東富士欽壹、第54代・輪島大士、第第60代・北尾光司(四股名は双羽黒光司)、第64代・曙の4人がプロレスラーになりましたが、プロレスでも頂点を極めることができたのは曙だけです。そこに相撲とはまた違ったプロレスの難しさがあるのです。

東富士は力道山と仲が良く、1951年9月場所で優勝した時には力道山のオープンカーを借りて優勝パレードを個人的に行いました。これが大相撲の優勝パレードの始まりと言われています。そして3年後の54年9月場所で引退し、年寄・錦戸を襲名しましたが、同年12月に廃業して後援会長だった日本プロレス協会理事長の新田新作氏に誘われて翌55年2月にプロレス転向を表明。3月にプロレス修行のために力道山とハワイに渡り、4月10日に現地でデビュー。丁髷姿のプロレスラー、東富士は大きな話題になって1週間後の4月17日には力道山とのコンビでハワイ・タッグ王者になりました。しかし7月の帰国後、自分の地位が脅かされると危機感を感じた力道山は“メキシコの巨象”ジェス・オルテガとのシングルマッチを組んで潰しにかかり、防戦一方になった東富士の評価は暴落。力道山はその東富士を救出することで「プロレスでは自分の方が上」をファンに印象付けました。その後、東富士は56年10月にウェイト別日本選手権で日本ヘビー級王者になりましたが、力道山の脇役の域を出ることはできず、59年1月にプロレス界からフェードアウトするように引退しました。元関脇の踏み台にされた悲劇の横綱と言ってもいいでしょう。
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