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デビューが決定した力道山3世の力

没50年記念興行で力道山3世がデビュー

来たる12月16日、東京・後楽園ホールで力道山没50年追悼記念興行『プロレスの力』が開催されることが決定しました。その第1試合では65歳になった今も現役を続ける力道山の次男・百田光雄が、この日にデビューする息子の百田力と親子タッグを結成します。百田力は力道山3世になるわけです。

百田力は1981年10月24日、東京赤坂生まれで、プロレスデビューする時には32歳。土浦日大高ではレスリング部で活躍し、日大法学部卒業後、プロレスリング・ノアのテストを受けるも合格できずにスポーツトレーナーになりましたが、あの桜庭和志の道場で総合格闘技を学び、天龍プロジェクトでプロレス修行。年齢的には遅いデビューとなりますが、親子3代のプロレスラーは日本初となるだけに注目されます。百田力のリングネームは力(ちから)に決定。デビュー戦では力道山と同じく黒のロングタイツ、黒のシューズを着用します。

「スパーリングをしていて、やられた後に反撃する時の気性の激しさや表情は俺より力の方が親父に似ている。デビュー戦では上っ面の技術ではなく、そうした気迫がお客さんに伝えられれば。いずれ力道山を襲名できるぐらいのレスラーになってほしいと思っています」と父・光雄は期待を寄せています。

テレビ放映にこだわった先見の明

さて、力道山を知っている方はどれくらいいるでしょうか? 没50年ですから、リアルタイムで試合を観た記憶がある人は50代半ば以降ということになります。力道山3世がデビューするのをいい機会として“日本プロレスの父”力道山を知っておきましょう。

大相撲の関脇だった力道山がプロレスに触れたのは廃業後の1951年9月でした。『在日トリイ・オアシス・シュライナーズ・クラブ』の招きでプロボクシング世界ヘビー級王者のジョー・ルイスが7人のプロレスラーを連れて来日。その試合を観た力道山はすぐさまプロレスラーになることを決意しました。そして同年10月28日に両国メモリアルホール(旧蔵前国技館)で開催されたプロレス興行で師匠のボビー・ブランズと10分1本勝負のエキシビションマッチを行って引き分けました。

52年2月に渡米して53年3月まで1年1ヵ月、プロレス修行を行いましたが、力道山の凄いところはリング上の技術を学んだだけでなく、プロデューサーの視点でスポーツ・エンターテインメントとしてのプロレス・ビジネスも学んだことでした。

力道山以前に柔道家の木村政彦、山口利夫、元大相撲の清美川らがプロレスラーになって活動していましたが、力道山は帰国すると大相撲時代からの人脈を活用して日本プロレス協会、日本プロレス興行株式会社を設立して組織を固め、さらにテレビに売り込みをかけました。NHKが本格的にテレビ放送を始めたのは力道山が帰国する1ヵ月前の52年2月。民放としては日本テレビが同年8月から放送を開始という時代で、まだ国技の大相撲でさえ中継されていない時期に日本テレビの正力松太郎社長を訪ねて「プロレスを放映してほしい」と懇願。力道山はアメリカ修行中にプロレスにとってのテレビの重要性を感じ取り、日本でプロレスをスタートさせるにあたって、テレビ放送は不可欠と感じていたのです。