3路線利用可、便利な歴史の街は
市川市政の中心地
市川市の中心部に位置する本八幡は京成線、JR総武線、都営新宿線の3路線が乗り入れる市内の交通の要衝。加えて市川市役所、市民会館、中央図書館、保健センター、文化会館、市民会館などともこの地にあり、市政の中心地でもある街です。
街は市役所ほど近くにある葛飾八幡宮、地元では「はちまんさま」として親しまれる神社を中心に発展してきました。この神社の創建は平安時代と言われ、京都の石清水八幡宮を勧請したもの。武神として源頼朝、太田道灌、徳川家康など武人の崇敬を集めていたそうで、境内には源頼朝駒止の石など歴史を物語る文物が残されています。また、境内には公民館、市民会館、図書館もあり、歴史と文化が交わる一画という雰囲気です。
この八幡宮と京成線を挟んで反対側を走るのが、国道14号(千葉街道)。江戸時代には江戸と佐倉を結ぶ重要な幹線道路として賑わい、街道沿いもまた、八幡宿として栄えたといいます。しかし、当時のこの地域は西側を東京湾の砂浜に、東側を真間川の入り江の湿地帯に挟まれ、稲作には向かない土地でした。そのため、農民は貧しい暮らしを送っていたそうで、それを救ったのが梨。明和年間に川上善六が生み出した八幡梨がきっかけとなって梨栽培が盛んになり、今では市川梨としてこの地域の特産物として知られるようになっています。ちなみに川上善六はこの地では梨の祖であり、地域の経済を変えた英雄。八幡宮の境内にはその碑が建てられています。
現在も交通量の多い国道14号に沿った場所にあるのが八幡の藪知らずと言われる森。現在も鬱蒼と古木が生い茂る場所で、かつてはこの地に入るものには必ず祟りがあるとの言い伝えがあったとか。それを聞いた徳川光圀公(テレビでお馴染みの水戸の黄門様ですね)が試しにと入って見たところ、どこからともなく白髪の老人が表れて、光圀公は恐ろしい思いをなさったとも。また、他の説にはここは行徳の入会地であったため、八幡知らず、つまり、八幡の人は入ってはならないこととなっており、それが転訛して藪知らずになったのではないかとも言われています。
こうした歴史の街本八幡が市政の中心になったのは昭和9年に市川町、八幡町、中山町、国分村が合併、市川市が登場して以来。市域の中心に立地することから本八幡に市役所が置かれることになり、当時、経営不振だった八幡座という芝居小屋の土地を買い取って市役所が建てられたそうです。翌年には総武線本八幡駅が誕生します。ちなみにお隣の市川駅同様、本八幡周辺にも明治から昭和にかけて作家の永井荷風や幸田露伴、脚本家水木洋子などが居を構えており、文化人に好まれた土地でもあります。
駅周辺にはタワー、
少し離れて大型商業施設に商店街も
では、実際の街の様子をみていきましょう。利用できる3路線のうち、総武線と都営新宿線は駅ビルshapo本八幡内の連絡通路で結ばれており、ほぼ同じ位置にあるといってもよい距離にありますが、京成本八幡駅は千葉街道を挟んで約300mほど両駅の北側にあり、この間の地域では平成11年(1999年)以降、延々と再開発が行われてきました。その結果、現在では市川市初のタワーである本八幡キャピタルタワー(地上24階)をはじめ、4棟のタワーが並ぶ近代的な雰囲気のエリアになっています。
商業施設はこのエリアから総武線の南側に多く、商店街が長く続いています。総武線と並行するように続く商店街が行き着くのは、隣駅下総中山とのちょうど真ん中くらいにあるニッケコルトンプラザ。ここは昭和63年にできた大規模商業施設で、元々は日本毛織の中山工場跡地。スーパーダイエーを中心に専門店、スポーツクラブ、スポーツ施設に書店、映画館、住宅展示場などがあり、駅からは送迎バスも出ています。
駅周辺にはタワーや大型店、商店街、そしてマンションなどが建っているものの、ものの数分も歩くと、一戸建て中心、低層の住宅街が広がり、緑も豊富。駅から2キロほどのところには江戸川があり、河川には遊歩道、スポーツ施設などもあります。ここでは毎年8月初旬に花火大会が開かれており、本八幡駅からはバス利用も。対岸の江戸川区でも同じ日に花火大会が開かれるので、ダブルで楽しめると評判です。
では、最後に総武線、都営新宿線、京成線本八幡駅の住宅事情を見て行きましょう。