金融取引のおかげで私たちは便利な生活ができる
モノづくりに携わっている人の口からは、「モノづくりは価値の創造であるが、金融取引はゼロサムゲームであり、富を生み出していない。額に汗して得たお金こそ尊い」といわれることがあります。確かに、金融取引はバブルやその崩壊を生み出すなど負の面もありますが、そもそも各種金融商品が組成され、お金が動いているからこそ、私たちは便利な生活が享受できています。たとえば、外国為替市場や商品先物取引市場が整備され、活発な売買があるからこそ、私たちは安定した値段でモノを買うことができます。外国為替市場が活発でなければ、為替リスクの高い製造業などは海外へ出てしまい、国内には失業者が増えるかもしれません。
商品先物取引がなければ、穀物やガソリンなどの資源価格は不安定になります。住宅ローンがあるのも金融取引のおかげです。証券化技術がなければ、家を持つことのできる人はもっと少なくなるでしょう。
職業や稼ぎ方に貴賎はない
株式投資や投資信託を推奨する人の中には、デイトレードなどの短期売買を指して「ただの投機だ」と主張する人もいます。しかし、誰が勝っても負けても、市場参加者がいる限りは金融の流動性確保に貢献しているわけです。参加者が減れば売買のマッチングができなくなり、金融市場は混乱します。つまり、デイトレードでも何でも、そこに参入することはある意味で市場への貢献です。暴落相場で買って儲けることを「他人の不幸に便乗したトレード」と言う人もいますが、買い支えることで下落に歯止めをかける行為ですから、こちらもむしろ市場への貢献です。
あらゆる商売やビジネスには存在意義がある。意味があるから存在しているわけですから、稼ぎ方に貴賎はありません。不安定だと批判されることが多い日雇い労働も、需要と供給があって、相互に望んでいるから取引が成立します。それを規制すれば、日雇いでも何でも仕事にありつけた人までが職にあぶれることになります。とにかく、すぐに人手が必要というニーズを満たせなくなります。
あらゆる商売には存在意義があり、貴賎はない。だから、どんな稼ぎ方であろうと、人を騙したり法を犯したのでなければ、貴賎はない。そう考えれば、自分の出すべき価値にフォーカスできます。他人がどうやって儲けたかなんて、あるいは他人がいくら儲かったかも、気にしているヒマなんてないのです。
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