DJ 政弘3 「僕の聖域」
ガイド:今回インタビューする中では最高齢で、かつ最もDJ歴の浅いのが政弘さんですね。といっても、歌謡曲や和製ロックに関してもともと非常にお詳しい方なので恐縮ですが。マニアックな歌謡曲からツボをついた和製ロックナンバーまで自由自在に使いこなす政弘さん。プレイスタイルからはリアル世代がもつ熱さがひしひしと!
結局、2011年の暮れにようやく初舞台を踏ませてもらいまして。何ヵ月か後の二回目が『歌謡deポン!!』。『歌謡deポン!!』では定期的にやらせてもらえるようになってありがたいですね。
ガイド:政弘さんが子供だった1960~1970年代はまさに歌謡曲の黄金時代と言える時代ですが、今ふり返るとどんな音楽が印象的でしょう?
政弘3:僕はものごころついた時からテレビ観て歌ってるくらい、とにかくテレビっ子でした。幼稚園入る前、オックスの野口ひでと(現 真木ひでと)さんがものすごいアイドル的な人気だった頃くらいから覚えてます。グループサウンズはすぐ下火になったけど、そのあとは五木ひろし、森進一、にしきのあきらとか。遠足のバス中で『待っている女』(五木ひろし)を歌って爆笑されたりなんてこともありました(笑)。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを友達からすすめられてからは、大人へのあこがれと言うか、ドラマっぽい歌詞の深さとかロックっぽさにもに興味を持つようになりましたね。
ガイド:コアなロック、と言うかめんたいロックやパンクにはいつごろ出会われたんでしょうか?
政弘3:1980年にはじまった宇崎竜童さん司会の『ファイティング80's』って音楽番組がコアなロックに触れるきっかけでしたね。THE MODS、ザ・スターリンとか。それから映画『爆裂都市 BURST CITY』を観たりしているうちにすっかりのめりこんでしまって。高校の卒業文集に「パンクで世界を変えてやる!」って書いたくらいでした(笑)。
ガイド:政弘さんは歌謡曲レコード蒐集してたり、『延山政弘』名義で昭和映画のライターもしているのでもちろん知識豊富ですが、やはり当時からの音楽に対する愛情や熱さをキープし続けているという点で『歌謡deポン!!』にはうってつけの人材なんだと思います。
老若男女、いろんなDJやお客さんが集う『歌謡deポン!!』で、DJをするにあたり心がけていることはありますか?
政弘3:DJはじめた頃、『い・け・な・いルージュマジック』(忌野清志郎+坂本龍一)をかけたら『歌謡deポン!!』にも出演している港町YOKOさんに「誰でもかける曲をかけるな! おっさんならではの曲をかけろ!」ってお叱りをうけたのが教訓になってますね。
ガイド:政弘さんにとって『歌謡deポン!!』はどんなイベントですか?
政弘3:一言でいいづらいけど、いま大阪で毎月やってる歌謡イベントでは随一ですね。お客さんもいいですし。聖域です。
ガイド:では最後に政弘さんにとって『歌謡deポン!!』でかかる印象的な三曲を挙げてください。
政弘3:『涙のtake a chance』(風見慎吾)、『憧れのスレンダー・ガール』(シャネルズ)、『浪花恋しぐれ』(都はるみ・岡千秋)で!
『歌謡deポン!!』は毎月第二火曜に開催!
いかがだっただろうか。それぞれ異なったバックボーンを持った4人の声を通して、イベントの多様性、多様性をつつみこむウェルカムな楽しさ、そして歌謡曲の魅力を感じていただければ幸いだ。『歌謡deポン!!』は大阪のKING COBRAで毎月第二火曜に開催している。機会あればぜひ訪れてほしいイベントだ。