Dr. Samuel Rahbar

Dr. Samuel Rahbarは1968年に糖尿病患者のA1Cが上がることを発見しました。

2012年11月、糖尿病になるとヘモグロビンA1Cが明らかに上昇する事を初めて発見したSamuel Rahbar MD PhDが83歳で亡くなりました。奇しくも同年4月より日本でも従来のJDS表記から北米と同じNGSP表記に変更、ところが欧州では化学的により正確に測定できるIFCC(国際臨床化学連合)方式によるIFCC(mmol/mol)HbA1Cに先んじて切り換りつつあります。
相変らずA1Cの不統一状態が続きますが、やはり時代の替わり目のようです。糖尿病の診断基準にも利用されるようになったごく小さな分子、A1C(エー・ワン・シー)の知られざる発見物語を紹介しましょう。

「この見慣れないもの(ヘモグロビン)は何だろう?」

テヘラン大学(イラン)の研究者としていつものように300サンプル/日もの多人数の血液から電気泳動で遺伝的なヘモグロビン変異体を探していたDr. Samuel Rahbarが、ぼんやりとしたバンドが普通のヘモグロビン(HbA)の方へ速く移動しているのを目にした時に口にした言葉が「この見慣れないものは何んだろう?」です。1968年のことでした。これが今日のように糖尿病治療の指標として無くてはならないものになったA1Cとの初めての出合いです。

Dr. Samuel Rahbarは1929年生れのユダヤ系のイラン人です。父は織物商、母はフランス人学校の教師でした。7人きょうだいの末っ子ですが母親の影響で全員が高学歴です。Dr. Samuel Rahbarはテヘラン大学で医師免許と博士号を取得しました。

大学時代は免疫グロブリンを研究していましたが、タンパク質の構造に関心が移り、当時の始まったばかりの分子生物学の花形、ヘモグロビンとの出合いがありました。ヘモグロビンは1960年に構造が解明されたばかりのタンパク質の一つで、ノーベル賞受賞者として著明な化学者ライナス・ポーリングが鎌状赤血球貧血の原因となる遺伝性のヘモグロビンS(HbS)を発見したりして、多くの生化学者がヘモグロビンの研究に参加していました。
まだ、細胞内のタンパク質が容易には分離できない時代でしたが、赤血球のドライウエイトの97%はヘモグロビンですし、不要な血液は病院にたくさんあるので、入手しやすいタンパク質としてヘモグロビンは研究の注目の的だったのです。
大学卒業の頃、Dr. Samuel Rahbarはイスラエルでヘモグロビン研究の権威、(英)ケンブリッジ大学のHermann Lehmannの知遇を得、ヘモグロビン研究に入ります。Lehmann教授は欧州人のルーツの一つとして、イラン人の血液にヘモグロビン変異体のオリジンがあることを期待したそうです。事実、広く分布しているヘモグロビン変異体にHb Hamadanというものがありますが、HamadanとはDr. Samuel Rahbarの生まれ故郷ですから、もしかしたら彼がその発見に関与したのかも知れません。

謎のバンドの正体は? 後の「A1C」の発見

さて、後にA1Cと同定される見慣れないヘモグロビンのバンドが現われた血液は、67歳の女性のもので彼女は糖尿病患者でした。遺伝的な変異と考えましたが、もしかしたら? と思って別の47人の糖尿病患者の血液を検査したら、やはり同じヘモグロビンのバンドが現われました。
電気泳動の条件をいろいろ試しながら、pHを6.2、寒天ゲルの膜に替えたらはっきりとしたバンドが確認でき、1968年に医学誌に発表します。

同年、他の研究所でこの謎のヘモグロビンの正体を解明しようと渡米して、アルバート・アインシュタイン医科大学のヘモグロビン研究のリーダー、Helen Ranneyのチームに参加します。チームは140人の糖尿病患者に同じ謎のヘモグロビンを認め、同様に非糖尿病者にも低いレベルで存在することを確認します。

異常なヘモグロビンからHbA1Cへ……糖尿病コントロール指標までの歩み

次のステップはこの謎のヘモグロビンの解明です。Dr. Samuel Rahbarが1965年に発表されていたHolmquistとSchroederのクロマトグラフィを用いたヘモグロビンの研究に鍵を見付けます。この2人は通常のヘモグロビンAの中にHbA1a、HbA1b、HbA1c、HbA1d、HbA1eの小さな分画を発見していました。今ではその正体が分かっていますが、それぞれがフルクトース-1,6-二リン酸とかグルコース-6-リン酸、ピルビン酸などをヘモグロビンβ鎖末端に結合しているのです。HbA1cに付いているのがグルコース(ブドウ糖)です。

Dr. Rahbarたちは糖尿病患者に多く現れる謎のバンドはHbA1cであることを突き止めます。計算してみると全ヘモグロビンに対して糖尿病患者のHbA1cバンドは7.5~10.6%を占めていたのに対し、健常者では4~6%でした。
まったく同じ1968年に発表された別の研究グループの論文で、HbA1cはヘモグロビンにブドウ糖のような6炭糖が結合したものであることが解明されています。

ここまで来ればあと一歩ですが、HbA1cのレベルが血糖値を反映しているかどうかが不明でした。Dr. Rahbarはイランに帰って研究を続けますが、最初の5~6年は誰も関心を示しませんでした。その大きな理由はヘモグロビンの末端にブドウ糖を付けるのは酵素の働きで、血糖の多い少いではないと皆が思い込んでいたからです。

この壁を破ったのが米国のAnthony Cerami, MD, PhD,です。Dr. CeramiがHbA1cを臨床に応用できるようにした立て役者です。
赤血球は細胞核を持っていませんから、タンパク質のヘモグロビンを自分で作っているのではありません。骨髄の中で赤血球が作られる時にヘモグロビンも作られて血液に出てきます。Dr. CeramiはHbA1cレベルが、いつ・どこで変化するのか疑問に思いました。
そこで、マウスの赤血球に放射性の鉄でラベリングして追跡しました。赤血球のHbA1cは日数と共に増え続けましたが、重要なことは糖尿病マウスのHbA1cは正常マウスと比べて2.8倍の速さで増えたのです。つまり、血糖値に応じた非酵素的反応だったのです。

後にDr. CeramiはHbA1cは尿糖レベルを反映していることも発見します。
しかし、実際にHbA1cが糖尿病コントロールの指標としてとても有用であることを立証したのが、大規模な治験のDCCT(米国で行われた1型糖尿病の試験)やUKPDS(英国で行われた2型糖尿病の試験)です。

A1C発見から糖尿病コントロール指標になるまで

A1Cの歩みをまとめてみましょう。

1968年 Dr. Samuel Rahbarが糖尿病患者ではA1Cが上昇することを発見

1975年 Dr. CeramiたちがA1Cが血糖コントロールを反映していることを証明

1989年 米国糖尿病協会が治療指標としてA1Cテストを初めて勧告

1993年 DCCT(1型糖尿病患者1,441人を対象とした血糖コントロールと合併病の前向き試験)でA1Cが1型糖尿病の臨床指標として有効であることを証明

1998年 UKPDS(英国で行われた5100人の2型糖尿病患者を10年以上追跡した大規模臨床介入試験)でA1Cが2型糖尿病の臨床指標として有効であることを証明

2010年 米国糖尿病協会はA1Cを診断基準の一つにすることを勧告。日本糖尿病学会も同調する

2012年 Dr. Rahbar、米国糖尿病協会よりSamuel Rahbar Outstanding Discovery Awardを贈られる

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