沖縄の戦跡(後半)

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祈念碑に添えられた鶴。平和への祈りは、沖縄だけでなく、日本だけでなく、全世界共通のもの


沖縄戦では、米軍に追いつめられるごと南へ南へと日本軍が後退し、結果、本部があった首里を含む本島南部は全域に渡って戦争末期の激しい戦闘が繰り広げられました。そのため戦跡というと本島南部を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、民間人を巻き込んでの戦闘が繰り広げられたのは南部に限りません。沖縄本島への米軍の上陸起点となったのは読谷村の渡具知の浜で、無血上陸を果たした米軍は、上陸と同時に読谷飛行場を占領し、ほどなく本島での激しい戦闘に突入していきます。後編では、本島南部以外に点在する戦跡の話をしましょう。

※本当南部の戦跡を紹介した前編はこちら

渡具知海岸
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1945年4月1日、この海岸線が米軍の戦艦でびっしりと埋め尽くされていたとは今では想像もつかない、穏やかな表情の渡具知ビーチ


1945年4月1日に、米軍の沖縄本島上陸地となった読谷村にあるビーチ。現在は泊城公園としてあたり一帯がきれいに管理され、ビーチ入り口から向かって左手の高台には平和への願いが込められた戦争の歴史を記した石碑があります。その昔、薩摩藩の琉球上陸地点にもなった場所で、歴史的に大変重要な位置をしめている場所とも言えるでしょう。
住所:沖縄県中頭郡読谷村渡具知 泊城公園


■チビチリガマとシムクガマ(読谷村)
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読谷の畑の下でひっそりと佇むチビリガマ。傍らに小川が流れるこの壕のようなガマが沖縄には数多くあります


読谷村波平・大当の集落のはずれ、農道の脇にチビチリガマへと続く窪地が口を開いています。チビチリガマは沖縄戦での集団自決の惨劇が起こった場所として取り上げられることが多いガマです(沖縄戦で集団自決が起こったのはチビチリガマだけではなく、多くのガマで悲惨な出来事が起こっています)。追いつめられた住民たちは自決を余儀なくされ、85人の人々が命を落としたと言われます。
一方、シムクガマは1000人余の波平住民が避難していた大きなガマで、こちらはハワイ移民帰りで英語のわかる住民の必死の説得によって、避難していた住民が全員自決することなく米軍に投降し命が助かったと記録されています。

●チビリガマ
住所:沖縄県中頭郡読谷村波平1136-2
シムクガマ
住所:沖縄県中頭郡読谷村波平655
問合せ:波平公民館 098-958-2229

※ ガマ見学の際は、スニーカーのような歩きやすい靴に長袖長ズボンの着用がよいでしょう。見学用に整備されているガマでも、ガマの中は湿ってすべりやすく、ガマの暗さを実感してもらうために照明を置いていないところがほとんどです。特に人の手によって管理されてないガマに行く場合、水、軍手、懐中電灯等の携帯も必須です。沖縄にはハブがいることもお忘れなく。


■読谷村の掩体壕
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読谷の高台に位置する掩体壕のある一角は昼間でもほとんど人影もない静かな場所。村役場の裏手にあたります。


掩体壕とは、航空機を敵の攻撃から守るために建設された施設で、日本全国に残存しています。読谷村には旧日本軍の読谷山飛行場があったことから、沖縄戦で作られた掩体壕が畑の中にひっそりと今でもその姿を留めています。壕自体は3壕ありましたが2壕は解体され、現在保存されているのは1壕のみとなっています。
住所:沖縄県中頭郡読谷村座喜味

■読谷村歴史民族資料館
読谷村の史跡座喜味城の入り口にある読谷村歴史民族資料館では、読谷村の歴史や文化を学ぶ貴重な資料が展示されています。沖縄戦での本島上陸地点となり、旧日本軍の読谷山飛行場が米軍に占領されたまま戦後も米軍基地として利用されてきた読谷村。この資料館での読谷村における沖縄戦の記録は、戦争によって人々の暮らしがどう変わり、また戦後人々がどのようにして日常生活を取り戻していったのか、そして米軍による占領下の沖縄の人々の状況などを詳しく知ることができます。
住所:沖縄県中頭郡読谷村座喜味708
TEL:098-958-3141

■嘉数高台公園(宜野湾市)
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高台の上がそのまま公園となって整備されている嘉数公園にはいくつもの碑が並びます


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公園の見晴し台まで上がる途中、山の斜面にそって顔を覗かせる壕の入り口

宜野湾市の南端に位置する嘉数高知は、沖縄戦の中でももっとも激しいと言われる16日間にもわたる戦いが繰り広げられ、日本と米国両国におき多大な犠牲者を出した場所です。戦闘でハゲ山と化した嘉数の丘も現在では緑に覆われ公園として整備されていますが、なまなましく銃弾の跡残る塀や日本兵によって使われた壕やトーチカが残り、数々の慰霊碑が建てられています。高台になっている公園の真ん中からはちょうど普天間基地の滑走路を見下ろすことができ、戦後も含めた沖縄戦の歴史を深く考えざるをえない場所です。
住所:沖縄県宜野湾市嘉数1


■旧天願橋(うるま市)
沖縄戦で破壊されまっ二つに折れたままうるま市に残る古い橋です。戦前、この天願橋周辺は、洗濯や夕涼み、子供たちの遊び場等、周辺に住む住民たちにとって生活に欠かせない場所でした。米軍上陸直前、米軍の本島北部への進行を遅れさせるため日本軍によって橋は爆破されましたが、結局米軍の進行を滞らせることができたのはわずか3日間のみ。天願橋に到着した米軍はブルドーザーで土を盛ってこの橋の上を通過していきました。破壊されたままの姿で残る旧天願橋は、戦争によって奪われた住民たちの生活を静かに物語っています。
住所:沖縄県うるま市天願 
県道224号の天願交差点を西向きに曲がり左手に見える天願川のわき