地形によって2つの顔がある、
ワンダーランド上野
面白いことに上野にどのようなイメージを持っているかは人によって違います。美術館、博物館の並ぶ公園内の風景を思い浮かべる人、はたまたアメ横の猥雑な活気、賑わいを想起する人、老舗の鰻店や和装小物店、あるいはキムチその他のエスニック料理店の並ぶ路地をイメージする人……。そのいずれもがひとつの街に混然一体となっているのが上野という街の魅力でしょう。
この混沌の大本になっているのは、上野が武蔵野台地と下町低地のちょうど境界に位置しているという地形的な要因です。ご存じのように武蔵野台地は東京23区の西半分を占めていますが、その台地と東京低地との境には京浜東北線が走っています。そのため、大船から大宮に向かって京浜東北線に乗ると、必ず路線の左手、西側が高台になり、右手、東側が低地になっているのですが、それが如実に表れる場所がいくつかあります。そのうちのひとつが上野。公園側とアメ横側は明らかに高低が違っています。
具体的に見て行きましょう。西側の公園口は改札を出て道路を渡るとすぐに上野公園です。東京文化会館、国立西洋美術館、国立科学博物館、国立博物館などが左右に並び、突き当りには上野動物園が。隣接して東照宮があり、坂を下ると不忍池。東照宮を含めた美術館・博物館エリアが高台にあることが分かります。また、不忍口から公園口へは急な坂になっており、ここでも地形を実感できます。
一方の中央改札、東上野口など、アメ横側は路線にもよりますが、ホームから連絡通路へ上がり、改札へ下がるという形になり、公園口からすると明らかに低くなっています。この差が土地の用途となっているのはいう間でもありません。江戸時代の公園口側の古地図を見てみると、大半が東叡山寛永寺の敷地となっています。明治維新後、官有地となり、明治6年には芝、浅草、深川、飛鳥山(いずれも寺社の土地を召し上げて公園に)と共に、日本で初めて公園に指定されています。大正13年には宮内庁を経て東京市に下賜されたため、正式名称は上野恩賜公園となっています。
一方のアメ横側は寺社もあったものの、身分のあまり高くない武家の小さな屋敷、町人地などが並んでおり、当時から雰囲気の異なる場所であったことが分かります。その区画割がそのまま踏襲されているわけですから、東西で雰囲気が異なるのは当然でしょう。
また、江戸時代からすでに大寺院があり、人の集まる場所であったことから、歴史を感じさせる文物が残っていると同時に、変化する東京の先端にあることもこの街の面白さ。古いほうでは老舗の鰻屋、蕎麦屋さんに洋食屋さん、寄席に日本初と言われるコーヒー専門店、和装には欠かせない帯締めの老舗などがあり、繁華街の中に何気なく佇んでいます。新しいものとしては変化し続けるアメ横が代表格でしょう。
アメヤ横丁、通称アメ横は御徒町駅から上野駅間の山手線の高架橋西側と高架下に沿って伸びる商店街で、正式名称はアメ横商店街連合会。400メートルの範囲に400軒以上がひしめくように集まっています。戦後の闇市時代に飴を売る店が多かったことから名付けられたそうで、今も菓子類を売る店は何軒か残っていますが、その時々で名物となる売り物は変わってきました。昭和30年代に名物だったバナナの叩き売り、荒巻鮭から現在のメインは食品、衣類、靴、雑貨に香水などの化粧品。アメ横センタービルの地下では豚の各部位や上海蟹その他のエスニック食材が並べられ、まさにアジアの市場。飛び交う言葉も中国語あり、韓国語ありと多彩です。
ちなみに東上野にはここから別れて作られたというキムチ横丁なる韓国料理店、食材店が集まる横丁があり、独特の雰囲気を醸し出しています。
このエリアにはアメ横以外にも多数の商店街があり、また、御徒町には松坂屋などのデパート、安売りで有名な多慶屋などがあり、飲食店も多数。生活に必要なほとんどあらゆるものが安く手に入るため、生活費は安くつきそうな街です。
複数路線が至近距離に集まる、
抜群の足回り
また、もうひとつ、当然といえば当然かもしれませんが、複数路線が集中していることもこの街の魅力。上野駅だけでも首都圏の大動脈山手線に京浜東北線、東北、上越、長野、秋田、山形の各新幹線、東京メトロ銀座線、日比谷線に京成線、などが走り、徒歩15分圏で見るとさらに山手線御徒町、都営大江戸線上野御徒町、銀座線上野広小路、同稲荷町など書き始めると本当に多くの路線が利用できることが分かります。
また、昭和通り、中央通りを始めとする幹線道路、首都高速1号線なども走っており、車での移動も楽。足回りに関しては抜群に便利です。
続いては気になる山手線上野周辺の住宅事情を見て行きましょう。