歴史的にみて、国がこのような給付をしたことはない
歴史的に考えてみると、国がこのような巨額の給付をしたことはかつてありません。戦前でいえば、親の経済的面倒をみるのは子どもの責任でしたし、身寄りのないお年寄りはしばしばうち捨てられていました。特に後者は深刻で、病気などで子どもに先立たれた親などは自分の老後を頼む相手がいなくなってしまいました。親族が何十人もいる場合、遠縁あるいは本家の裕福な家に身を寄せ、ひっそりと老後を暮らすこともありました。
巨額の年金を国が負担すること(=現役世代が保険料負担をすること)は、こうした「親族内での支え合い」から脱却し、老後の生活を安定させるための社会的コストでもあったのです。今もし、年金制度が凍結され親の生活の面倒を各家庭で見ることになったら、夫婦がそれぞれの親の生活のために前述の5340万円×2を負担することになります。そうなったら、目の前の生活も困窮し、自分の老後も成り立たないことでしょう。おそらく1億円を親に負担することも無理ではないでしょうか。
実は50年以上かけて国がやってきたことはとても重要な価値があるのです。
新卒社会人より多い年金額を感謝できないおかしな世の中。感謝もあっていいはず
さらに考えてみると、大卒の社会人の初任給より夫婦の年金額は高いことにも気づきます。2012年度、上場企業の初任給は20万4782円だそうです(労務行政研究所調べ)。一方で、会社員の夫と専業主婦の妻のモデル年金額は世帯あたり 23万0940円です。先ほどの給付実態とおおむね合致します。つまり、今の年金生活者の夫婦は「働かずして、20年くらい、新卒社会人なみ」の収入を得続けるわけです。非正規で働く若者の収入と比較すると1.5倍以上かもしれません。若い世代の立場で年金の仕事をしていて不思議に思うのは、これほど高額の収入を国が生涯にわたって終身で保証してくれるのに「たったこれだけ」という団塊世代の感覚です。確かに退職直前のその人の収入からすれば半分以下かもしれません。しかしその金額が22歳の新人が1カ月必死に働いて得られる金額であることと、現役世代に多くの負担を求めての給付であることを考えれば、もっと「喜んで」受けられないものかと思います。
お年寄りが「たったこれだけ」と思っている制度を、若い世代が「ありがたい制度」と思うことは困難です。年金生活者は特に、若い世代や孫たちに対して、年金制度の良さ、ありがたさを口にしてほしいなと思います。
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ちょっと発想を転換してみると、「実は国の年金ってスゴイ財産」ということが分かります。高い保険料も決してムダなことではないのです。
不信感をもってつきあうより、もう少し前向きに考えながら年金制度とはつきあっていくべきだと思います。そのうえで、制度の安定をはかる方法を考えていきたいものです。
追伸
この話題を取り上げると「だから年金制度は破綻する」とネタにされるのですが、実はそれは直接結びつく話題ではありません。機会があればその解説もしたいと思います。