日本のパンクとは?
ガイド:今回の選曲は、プロインタヴューアとしても知られる吉田豪さんによるものですが、『ミク★パンク 創世編』の収録曲を見て改めて思ったのが、日本のパンクというのは結構幅が広いなぁと。東京ロッカーズ、関西ノーウェイヴ系の人たちも当然いますが、パンクが存在しない時期から活動していた頭脳警察やヤンキーと紙一重のアナーキーもそうなんだと。サエキさんは、日本のパンクをどのように捉えられているのでしょうか?
サエキ:
そこは大問題です。
サエキとしては、新宿ロフトのパンク、ニューウェイヴトリビュートイベント「DRIVE to 2000」「DRIVE to 2010」という東京ロッカーズを中心とした、パンク勃興時のルーツを見据えた企画にする任務があったはずです。ところが、リザードを担当するはずだった、ぶっちぎりPさんが参加できなくなったり、様々な意見を総合するという過程で、今回のようなラインナップで固まっていきました。
詳細はいずれ述べたいと思いますが、結論として「日本のパンク」というジャンルは、80年代に十分に拡散し、今回のような捉え方がありだな、と思いました。また、東京ロッカーズ以前の頭脳警察、サンハウスについては、非常に重要であると改めて認識し直したのです。
宝島の果たした役割とは?
ガイド:『ミク★パンク 80's オン キャプテンレコード』の方は、タイトルの通りキャプテンレコード特集。雑誌『宝島』のレーベルと言ってもいいですが、今はサブカルチャー誌としての面影はありませんが、『宝島』はある意味時代を移す鏡でしたね。あの時代の『宝島』は、サエキさん的にはどのような役割を果たしたとお考えでしょうか?
サエキ:
70年代の文芸誌的で「話しの特集」のようだった宝島は、今でも忘れられません。しかし、関川誠さんが編集にかかわり、サブカルチャー雑誌になってからの宝島は、ちょうどパンク・ニューウェイヴの時期とリンクしてしまいました。もともとジャズの植草甚一氏が作った「宝島」は、時を経てパンクニューウェイブの推進役となったのです。
80年代後半のバンドブームやキャプテンレコードは、今にして思えば、そうしたパンク・ニューウェイヴシーンを引き継いで、連続的に発生していたところがあります。例えばBOOWYは、1981年にポリスのようなサウンドでデビューして、80年代後半にバンドブームを引き起こすという経過なんですよ。ニューウェイヴ的音楽性は1983年YMOの散開で終わったような見方もできますが、実は80年代後半にキャプテンやナゴムのような形で発展的に、パンクと共に隆盛していったという見方があるわけですね。
サブカル誌だった「宝島」は、80年代に継続的に部数を伸ばし、そうした音楽シーンを支えました。ですから80年代初頭エスケンのスタッフだった江口勝敏さんが、80年代後半にはキャプテンレコードのプロデューサーになるのは、上記のような流れを実証していることになるわけです。
VOCALOIDの功績とは?
ガイド:初音ミクを代表とするVOCALIODのひとつの大きな功績は、ヴォーカリストを持たない宅録系アーティストに自由な表現の場を与えたことではないかと考えるのですが、初音ミクをステップにして、より幅広い活動をする方(P)も増えてきていますね。サエキさんはどのようにこの辺りを捉えておられるでしょうか?
サエキ:
まさにその通り。今回もPさんとの触れ合いを通して、彼らの新しいメンタリティに触れることができましたが、80年代初頭のニューウェイヴ期に生まれたシンセ小僧たちの心意気を正しく継承しているのは間違いなくPであります。今回、同期サウンドを取り入れた現役のパンクバンド、猛毒からtheS.O.L(杉山サンダーU1)さんが、初音ミクPとして参加してくださったことは、日本の宅録系音楽シーンのメンタリティの変化と面白さを物語っていると思われます。
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