誰かと重ね合わされてしまう「わたし」

スタッキング可能

「スタッキング可能」は各パートの冒頭にエレベーターの位置表示器のような図がある。「D」のボタンが点灯しているときは登場人物Dの視点。

――「ここ」にとどまったまま、言葉だけで冒険するというところが『スタッキング可能』にもつながるなと。「スタッキング可能」は登場人物がみんな匿名で、それぞれが入れ替え可能になっていますね。そういうスタイルは最初から意識していたんですか?

松田 世の中にはすごい作家さんがいっぱいいるじゃないですか。その人たちと同じことはできないから、誰もやってないことってなんだろうということは意識しました。
登場人物を入れ替え可能にしたのは、ふだん生活しているときに、自分が主人公とは思えないからです。同じような毎日を過ごしているし、物語みたいに前に進まない。他のみんなも同じなんじゃないかと考えたとき、一度この感覚をしっかりかたちにしたいと思いました。
あとは、人って、固定観念や社会のルール、家族や友人からの影響など、いろんな思いや考え方をまるで自分のもののように身に纏っている。「わたし」の背後にたくさんの人がいる感じ。そうしたときに、確固たる「わたし」なんてどこにもいないんじゃないかという気持ちがあって。輪郭がはっきりしないというか。
「わたし」は似たような誰かと重ね合わされてしまうけど、日々の積み重ねはパワーや実績にもなる。両方の意味でスタッキング可能なのが人間なんじゃないかなということを小説にしたかったんです。

――各パートのはじめにエレベーターの位置表示器を模した図が載っていて、登場人物がいる階数や視点人物がわかる。この書き方はどうやって思いついたんでしょう。

松田 どうしたらひとりでいながら複数の人でもあるというふうにできるかなと考えたときに、人称をずらすというのと、あと階数を変えたらいいんじゃないかと思ったんですよね。居場所がちがってもみんな同じようなことをしゃべっているということがわかりやすいんじゃないかなと。