京王線地下化と駅前再開発で変わる、歴史と自然とゲゲゲの鬼太郎の街「調布」
南北の通路で分断された駅。その後、取り壊されて駅前広場などに変わっているところ(2012年8月撮影)
駅でいうと、国領、布田、調布とその周辺にあたり、かつては1時間のうち、40~50分も開かなかった踏切が無くなったおかげで、街の南北の渋滞は大幅に解消されました。
国領、布田では新しく駅舎が作られる予定ですが、調布では駅前広場が拡充される予定。
2017年9月トリエ京王調布がOPEN!映画の街に巨大シネコン誕生
市の都市計画マスタープランでは中心市街地整備の終了目標は2020年となっており、まだまだ、これから工事が続きますが、2017年9月には駅、線路跡地に総延べ床面積3万8000平米に及ぶ、3棟の商業施設「トリエ京王調布」が誕生。賑わっています。特に地元で歓迎されているのが11のスクリーンを持つシネコン。映画のまちを標榜しながら、2011年にパルコ調布キネマが閉館して以来、映画館がなかった調布にようやく、映画館が戻って来たのです。それ以外には大型家電量販店、スーパーその他の店が増え、駅前の利便性は大幅にアップしました。
関東大震災以降に住宅地としての開発が進んだ調布
週末になると観光バスで訪れる人もいる市内最大の観光スポット深大寺。緑が濃く、せせらぎが涼しげ(2012年8月撮影)
甲州街道の宿場町ではありましたが、大きく発展し始めたのは大正に入ってから。京王線の笹塚~調布間が開通したのは大正2年、新宿~調布間の開通は大正4年ですが、初期には行楽地として認識されていたようで、本格的に住宅街として開発が進み、工場が進出し始めたのは関東大震災(大正12年)以降です。
調布が映画の街と言われる理由
角川大映の撮影所前にあった、どこかで見たようなオブジェ。知らないで歩いていたらびっくりするはず(2012年8月撮影)
駅周辺から深大寺境内まで、あちこちで鬼太郎ファミリー(?)の姿を見かけた(2012年8月撮影)
続いては実際の調布の街を見て行きましょう。