2012年8月29日、宝塚歌劇団の至宝、専科の春日野八千代さんが肺炎のためお亡くなりになりました。享年96歳でした。
春日野八千代先生……。
2009年にあったイベントでは、とてもお元気なお姿を見せて下さった春日野先生。その中の「百年への道」のコーナーで、「100周年に向けて後輩たちに伝えたいことは?」といった質問への春日野先生のお答えを、今でも強く覚えています。「品格」「舞台での行儀良さ」「謙虚さ」……。これこそが、宝塚の至宝、春日野八千代先生のお姿でした。
春日野先生は、1928年宝塚音楽歌劇学校に入学。1929年「春のをどり」で初舞台を踏みました。
はじめは娘役でしたが、1933年『巴里・ニューヨーク』より男役に転向。「不世出の二枚目」と言われました。
春日野八千代というスターの誕生により、美女が中心の宝塚が、粋な男役中心の宝塚に変わりました。また、星組の創設も、春日野先生をトップにするためという説もあります。
やがて第二次世界大戦が勃発。その影響下、出し物は軍事色一色となり、大勢のスターらが退団していきました。劇場も閉鎖され、宝塚大劇場最後の公演が、春日野八千代主演の『翼の決戦』でした。
そして終戦後の1946年、念願の宝塚大劇場再開初の公演も、春日野八千代主演の『カルメン』『春のをどり』。1955年の東京宝塚劇場再開初の公演も、春日野八千代主演『虞美人』でした。
白バラのプリンス、春日野先生のカッコよく美しい舞台が、暗く不安な世の中に明るい灯を灯し、楽屋口は生徒が出られないほどファンが殺到しました。
宝塚大劇場再開の際の春日野先生の舞台挨拶に、客席は涙したそうです。「天国にいる人たちに約束します。永久に、清く正しく美しい宝塚の再建に尽くすことを」。
その頃よりずっとこれまで、春日野先生は宝塚歌劇団生徒の頂点に立ち、宝塚歌劇団の再建と発展に努めて下さいました。
もし春日野先生がいらっしゃらなかったら……? 舞台も男役の形も、今とは違うものだったでしょう。
『南の哀愁』『ハムレット』『虞美人』『白蓮記』『君の名は』『ダル・レークの恋』『シャングリラ』『メナムに赤い花が散る』……。そして、シャネルの5番を衣装に振りかけて演じた代表作『源氏物語』の源氏の君は、かの長谷川一夫さんに「ヨッちゃんの光源氏には負けた」と言わせたほどでした。
乙羽信子さん、有馬稲子さん、扇千景さん、新珠三千代さん、八千草薫さんらを相手に、数多くの名作を残しました。
どれほど多くの女性たちが、“ヨッちゃん”の舞台姿に、ブロマイドにため息をつき、夢の世界に浸ったことでしょうか。
そしてどれほど多くのスタッフや生徒が“石井さん“”春日野先生“と慕い、そのお姿からお背中から学ばせていただいたことでしょうか。
宝塚歌劇団は2014年に100周年を迎えます。それを1番心待ちにしていらしたのは、誰よりも長く深く宝塚歌劇を作ってこられた春日野先生でしょう。それが叶わないのが残念でたまりません。
永遠の男役、永遠のスター、永遠のタカラジェンヌ、春日野八千代。
長きに渡り、宝塚歌劇に関わるすべてを導き、支えて下さりありがとうございました。どうかいつまでも宝塚を見守って下さいませ。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。