バンコクから世界へ
ガイド:当時のバンコク、音楽的にはどんな状況だったのでしょうか? 今でこそ、Neko JumpとかのT-POPも日本に紹介されていますが、FUTONのようなバンドが受け入れられる素地はあったのでしょうか?
Momoko:
FUTONのようなバンドはいませんでした。でも、バンコクにもインディーズ・シーンのようなものはありました。タイ人は外国人が好きなので、受け入れられたと思います。あと、タイ人って、BPMが遅い曲が好きなんですよね。
ガイド:
あ、それ、分かります。タイのポップスって悲しくって、ゆっくりのバラードが多いですね。でも、同じ東南アジアでも、インドネシアのFunky Kotaとかは超高速ダンスミュージックなので、これはタイの一つの特徴みたいですね。バンコクで当時良く使っていたハコとかあるのでしょうか?
Momoko:
バンコクは大きなホールとかありますが、日本で言うところのライヴハウスのような所はほとんどありません。はじめは当時バンコクにできたイギリスのミニス トリーオブサウンドというクラブがあって、DJブースの前で歌ったりしてました。あとは企業がスポンサーになった広告イベントに仕事で出ることが多かったです。バンコクって、イベントがあるごとにクラブの中に仮設のステージを作るんですよ。機材からステージから借りてきて作るんです。屋外イベントで屋外ステージというのも多かったです。
ガイド:
ライヴはバンコク以外でもされていたと思いますが、具体的にどこにツアーへ行ったのですか?
Momoko:
アジアはマレーシア、シンガポール、ベトナム、上海、日本でライブをしました。ヨーロッパだとイギリス、フランス、ドイツにツアーで回りました。ロンドンでは、Clientと対バンしました。
ガイド:
実はClientの大ファンです。あのオフィスレディーやミリタリーをモチーフにしたストイックなフェティッシュ感覚とかが好きです。
Momoko:
ベトナムに行った時は歌詞とかのチェックもされるんですが、でも、何故かFUTONはベトナムのテレビ番組で放送されてました。
ガイド:
FUTONの歌詞を考えると画期的ですね。確か、SPANKY HAPPYとも共演したことがありますよね。SPANKSも大好きだったので。SPANKS……ちょっと早すぎた気もしますが。
Momoko:
はい、私も大好きです。SPANK HAPPYとはバンコクと東京で一緒にやったことがあります。菊地(成孔)さんの相方は毎回違ったかと思います。
多国籍バンドの苦難
ガイド:イギリス人、タイ人、日本人という多国籍バンドとしてやって、難しかったことがあれば教えてください。
Momoko:
ある時はヨーロッパ人 vs アジア人、ある時はゲイ vs ストレートと、バンド内でも別れてしまうことはありました。
ガイド:
じゃ、Gene君とアジア人同盟、Davidとストレート同盟みたいな繋がりだったんですね。
Momoko:
Gene君は乙女でした。今はFUTON時代よりさらに女の子っぽいです。FUTON時代もGene君が女装すると、他のメンバーに止められていました(笑)。
ガイド:
2006年にDavidがFUTONを抜けて、同じ年にMomokoさんも脱退されましたが、やはり多国籍バンドとしては続けていくのは難しかったのでしょうか?
Momoko:
そうですね。みんな結構喧嘩していまいた。でも、菊地さんも依然仰っていたのですが、ミュージシャンって喧嘩しても、結構水に流す所があるそうです。現在仲が悪い訳でないです。