深川森下で長く愛される手打ちそばの「京金」
都営地下鉄の新宿線と大江戸線が交差し、乗り換えでも利用される森下駅。深川神明宮も近い、いわゆる“深川”エリアです。駅から地上に出ると、新大橋通りと清澄通りの交差点が目に入ります。その交差点北東の一画に、そば店の「京金(きょうきん)」が存在。そこだけタイムスリップしたかのような空間……初めて1人で訪れた際には、狭い間口ということもあり、一瞬入店をためらいそうになる面構えでしょうか。老舗感に加え、モダンさもある、そんな印象です。地下鉄の出口がこの一画だけないので、A4出口、もしくはA6出口を出て、1本道を渡ることになりますが、駅から非常に近い立地です。ちなみに、同じく“100年店”であり、桜鍋の有名店「みの家」も同じ一画にあります。「みの家」はまた別の機会に……。
創業は1831年(天保2年)
京金の創業は、江戸時代の天保年間……歴史がありますね。創業者は紀州藩藩士の渡邊利兵衛。創業当初は、四谷の大木戸に店を構えていたといいます。現在の場所に移ったのは明治中期のこと。今の場所でも“100年超え”の老舗店です。そんな京金の創業年、1831年(天保2年)とはどんな年だったのでしょうか……。時の将軍は、11代家斉。天皇は明治から2代前の第120代仁考天皇です。天保年間で、すぐに思い浮かぶのは、“天保の大飢饉”でしょうか。こちらは、天保4年からなので、京金創業の少し後の出来事です。前年の1830年には、江戸時代に60年周期で3回起こった伊勢神宮への集団参拝“お蔭参り(=お伊勢参り)”がありました。過去最大となった3回目の集団参拝は、400万人以上と、当時の人口の10%以上の人たちの“動き”があり、各地で大きな経済効果を生んだと言われています。
遠山金四郎38歳、井伊直弼16歳、勝海舟8歳、吉田松陰1歳のこの年、京金もその歩みを始めています。
では、天保年間から続くそば店へと参りましょう