関東大震災で、「下町」「山の手」は郊外に向けて拡大する
「新山の手」の代表的な街、成城
「新下町」は北、荒川、板橋、練馬、足立、葛飾、江戸川区で代表的な街としては王子、南千住、錦糸町、亀戸、北千住、亀有、小岩などが加わりました。「新山の手」は品川、目黒、大田、世田谷、渋谷、中野、杉並、豊島の各区で代表的な街としては洗足、大岡山、田園調布、品川、大森、蒲田、目黒、世田谷、中野、杉並、吉祥寺、成城、常盤台などが加わりました。
下町、山の手の環境の違いを決定づけたのが、1926年に確定した、用途地域の指定です。山の手の高台地域は住宅地域と指定され、住居の安寧を害するものは建てられないことになりました。隅田川の西側に位置する旧下町の大部分と四谷、新宿、渋谷などは商業地域に指定され、商業の利便を害するものは建てられないことになりました。
また、商業地域の代表的な街は、関東大震災後 浅草から銀座へと移りました。隅田川の東の新下町は工業地域とし、一定規模以上の工場や倉庫、衛生上有害だったり保安上の危険のあるものは、この地域にのみ建てられることになりました。山の手は、ますます快適な住宅地となることを約束され、隅田川の東の新下町はますます工業地帯の性格を強めていったのです。
住む場所によって、ゴミが変わる?
こうした住宅、商業、工業地域に住む人の暮らしぶりの違いを、ゴミの内容から分析したレポートが1925年の婦人公論に発表されました。興味深いのでご紹介しましょう。“山の手のゴミは無駄がない。魚の骨などは洗ったようにきれいだし、ミカンは中の薄皮ばかりで表皮がない。魚は無駄なく食べ、ミカンの皮ははがして、夏の蚊いぶしに使うからである。
これに対して商家の多い古い下町の日本橋や京橋から出たゴミをみると、嫌いなものは箸でつついただけ、ミカンも味の悪いのは食べ残し、惜しげもなく捨てている。
そして新しい下町の本所区になると、ミカンは薄皮まで食べてしまうらしく表皮だけ、リンゴは包丁を使わずに丸ごとかじった芯が出てくる。
それぞれに住む人々は、生活習慣も大きく違っていたのである。(「階級都市」より抜粋)”
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