今回は、東京を例にあげて、街をその特徴によりいくつかのタイプに分類し、自分はそのうちのどれに合っているかを見分けることで、自分に合った住環境のイメージを明らかにしていきましょう。

東京は大きくは「下町」と「山の手」に分かれる 

麻布十番のマンション

「旧山の手」の代表的な街、麻布十番

東京の街は大きくは下町と山の手の2つに分けられます。標高20メートルが2つを分かつ目安となります。20メートル以上の高台が山の手。20メートル未満の低地が下町です。山の手の代表である青山や麹町あたりは、20メートルから30メートル。下町の代表である日本橋や浅草は3メートル、深川は0メートルです。

山の手・下町は、時代とともに拡大していくのですが、最初の下町、山の手を「旧下町」、「旧山の手」と呼ぶことにします。旧下町は中央、台東、墨田、江東区で、代表的な街としては神田、日本橋、京橋、下谷、浅草寺などが挙げられます。江戸時代には町人の街として、繁盛を極め、流行の発信、文化の中心となっていました。近代になると、労働者、や自営業者などの庶民の町となりました。

旧山の手は千代田、港、新宿、文京区で、代表的な街としては 麹町、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷などが挙げられます。江戸時代には武士が住み、武家屋敷が多く建っていたところで、近代では裕福な中産階級が住む閑静な住宅地となっていました。

下流社会の著者、三浦展氏がかつて編集長を務めた雑誌アクロスでは旧山の手を更に2つに分けて、本郷を「第一山の手」、それ以外を「第二山の手」と分類し、新山の手を「第三山の手」と位置づけています。時代とともに変化する山の手ですが、美智子皇后は第二山の手である品川区池田山、雅子妃は第三山の手の目黒区洗足のお生まれで、皇室に嫁ぐ女性の出身も山の手の移動に相関しているというのが象徴的です。(郊外はこれからどうなるより)


関東大震災後、下町、山の手はどのように変移していったのか?次のページで。