斬新なシステムが斬新であるために必要なコンテクスト

ゲームを遊ぶ子供の図

子供の頃からゲームを遊んでいる人程、キャラクターが復活しないのは、斬新だと感じるかもしれません。

よくゲーム業界で、今までに全くない斬新なゲーム性、なんていうフレーズを聞くことがあります。ほとんどの場合、この斬新なゲーム性というのはこれまでのゲームにあったゲーム性というものがどういうものか理解している人に向かって発せられます。

俺の屍を越えてゆけという、PSP用タイトルが2011年11月10日に発売されました。もともとは初代PlayStationで発売されたRPGのリメイクで、プレイヤーキャラクターが死ぬと2度と復活できず、次の世代が引き継いでいくという斬新なシステムが話題になりました。しかし良く考えれば、これは普通のことです。人は死んだら復活しません。親が死んで子が跡を継ぐ生き方も、斬新ではないですね。

しかし、ゲームにおいてはかなり珍しい、斬新なシステムです。そして多くのゲームユーザーは、ゲームのキャラクターは死んでも復活することが多いし、親の跡を子供が継いで、それに従ってプレイヤーキャラクターが変わることもあまりない、ということを理解しているので、俺の屍を越えてゆけは斬新なゲームであることが伝わります。

もちろん、1つ1つのゲームについて、システムがどうなっているのかの知識を重ね、体系的に理解しているわけではないかもしれません。またそれを、メーカーが論理的に説明しているわけでもありません。ただ、RPGってこういうものだよねというコンテクストを高度に共有している、つまりハイコンテクストであるわけです。

らしさの正体

ドラクエ3の図

子供の頃から、勇者になって世界を救ってきた人たちがたくさんいます。

話をバギムーチョに戻しましょう。ドラクエに関しても、ユーザーは非常に高度にコンテクストを共有していると考えられます。ゲームシステムはもちろんのこと、村人のしゃべり方から、効果音の1つに到るまで、25周年に渡る長い歴史の中でユーザー達がそれぞれに培ったゲーム体験は、ドラクエらしさとでも呼ぶべき論理的に説明するのが極めて難しい膨大なコンテクストとして共有されています。

それは、炎の呪文であるメラがファイアではドラクエの雰囲気が出ないというような分かりやすいレベルではなくて、バギクロスとバギムーチョのどちらがドラクエらしいと感じるかという、極めて感覚的なレベルにまで達していいます。

ちなみに、ドラクエは海外では日本ほど人気がありません。そこには色んな理由があると思われますが、コンテクストが共有できていないというのも1つ挙げられるかもしれません。逆に言うと、バギクロスとバギムーチョの違いを指摘する人がいるぐらいまで、ハイコンテクストな文化の中で価値を共有できているということは、日本でドラゴンクエストの持つ圧倒的な人気を末永く支えている大きな要因の1つでしょう。

さて、バギムーチョという呪文の響きがドラクエのコンテクストから逸脱していると仮定するなら、何故そのような呪文が登場したのでしょうか?