オフィス街のオアシス「虎ノ門大坂屋砂場」
地下鉄・虎ノ門駅の1番出口をそのまま新橋方面へと直進し、次の交差点(愛宕下通り)を右折。駅の出口から歩いて4、5分でしょうか。2階建ての蕎麦店、「虎ノ門大坂屋砂場」が現れます(以降、虎ノ門砂場と表記)。周囲の背の高いオフィスビルとのコントラストにドキドキする外観。交差点のこの一角だけ、時の流れが違うような気もしてきます。同店は2007年に耐震補強の関係で半年ほど工事をしていました。戦火を奇跡的に免れた大正時代からの風情ある建物が、再オープンでどうなるのか心配されましたが、その“老舗感”はしっかりと継承されていますね。
創業は1872年(明治5年)
「砂場」という屋号は都内の蕎麦店でよく見かけますが、その起源は大阪です。豊臣秀吉による大阪城築城の際に、資材用の砂置き場に和泉屋と津国屋が蕎麦店を開店し繁盛します。それら蕎麦店の俗称「砂場」が由来というものです。 その後、砂場は、徳川家康とともに江戸へと移り麹町で開業します。以降、幕末に室町砂場、明治維新後の1872年(明治5年)に虎ノ門砂場へと分岐。ここが同店のスタートです。“大坂屋”の看板は砂場のルーツを表しているんですね。では、その創業年の1872年とはどんな年だったのか……。新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通します。新時代の象徴的な出来事でしょうか。福沢諭吉のベストセラー「学問のすゝめ」の初編が発表され話題になっています。
また、開国間もない明治政府は交流を始めた欧米への体裁を気にし、広く一般に根付いていた公衆浴場での「混浴」禁止令を出したのもこの年のことです(しばらくこの“文化”は続いたようですが……)。
ちなみに、明治維新最大の改革と言われる「廃藩置県」は前年の1871年。藩時代の既得権やその後の処遇など、さまざまな軋轢や混乱を生み、庶民を含めて社会がまだ、“県”や“府”に慣れていない、しっくりこない(であろう)空気の中、虎ノ門砂場はその歩みを始めています。
では、都心部オフィス街の“オアシス”のような空間へと参りましょう