食べ物をつくる現場は、想像以上に分業されている
今回いろいろと見学、そして現場の声を聞かせていただいて、本当に初めて知ることも多く、勉強になりました。実は恐いかなと思いながらも、内心は鶏から鶏肉になる過程も見せていただき「生命あるものを食べている」ということを体感してみたいという思いはありました。今回はその部分は見られなかったのですが、現場の方のご苦労や、今の社会の問題も垣間見れました。現代は鶏肉ができるまでのプロセスが、想像以上に分業されていました。例えば地鶏のふ化も、ブランドを管理するために、組合の管理下で行われているそうです。加工も、2つの企業で分担されていました。
昔のように、家で鶏を飼い、自分でしめて食べるになんてことは、まず一般家庭ではできないですし、たくさん消費される食品を効率的、経済的に商品化するために必要なことでもあり、分業を否定するつもりはありませんが、分業の数が増えれば増えるほど、生産者と消費者の距離が広がり、それだけに厳しいチェックの過程がいくつも必要になります。またいくら徹底したトレーサビリティが確立されても、最後の一線を守るかどうかは人の心だと思います。
今回のツアーでは、現場を見学し、その後には参加者と流通のよつ葉さん、養鶏家の小坂さん、加工の関西ブロイラーさんと、一緒にバーベキューをいただきながら、ざっくばらんにお話できたことで、事業に取り組む真摯な気持ちや悩みも伺えたことから、私たちとの距離が少し近く感じられ、「この人たちなら信頼できる」という安心感とともに、商品にも思い入れができた気がします。
偽装を減らすためにも、顔をつなごう
コロッケの偽装問題の時に、偽装した会社の社長が述べた「消費者が安い者を求めるからだ」という理由は、偽装してよいという言い訳にはまったくならないものですが、生産や流通の立場からこんなふうに消費者が見られることで、数々の偽装問題にもつながっているのも事実でしょう。生産側の人たちの生活を圧迫するほど苦しい中で、「安さ」を求められれば、悪いと知りつつ偽装するということにつながるのかもしれません。不当に高いものを売りつけられるのはお断りですが、私たち消費者も、安ければよいではなく、適正なものを適正な値段で買うという態度を示して行かなければ、偽装は減らないと思います。
また消費者も、自分の利益や利便性ばかりを求め過ぎてはいけないと思います。最近は「ブドウ狩り」に来ても「種がある」と文句を言う人がいるなど、当たり前のことが受け入れられない人もいるのだと聞きました。
現代の便利で快適な暮らしを満喫している私たちは、食べものを一から作ったり加工したりする術は何も持ち合わせていません。お金を払って、生産者の方に委ねているのです。食べ物は、生き物です。生き物を相手に、また過酷な自然と付き合いながら育て、商品として成立させる苦労は、想像を超えています。
今回のツアーのように、消費者と生産者がお互いを知り、信頼関係を築いていくことも「食の安全」を守る行動の一つとなるでしょう。私も、今後もいろいろな生産現場を理解できるように、こうした機会に参加したいと思います。また「食の安全」を守るためにも、生産や流通に携わる方は、こういう機会を設けて、消費者に情報をオープンにしてほしいと思います。
参考
畜産物-5鶏肉(農林水産省/統計情報)