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自民党の歴史 田中の「死」・中曽根裁定(3ページ目)

ロッキード事件で有罪判決を受けながらも派閥を膨張させ、その権勢を見せ付けた田中角栄。しかし、思わぬところからの「反乱」そして「政治生命の終わり」へ。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【ロッキード解散・幻の「二階堂擁立劇」=田中権力の絶頂】
2ページ目 【竹下クーデタ「創世会」の旗上げと田中の「政治的な死」】
3ページ目 【絶頂・中曽根から「ニューリーダー」たちへの「権力譲渡」】

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【絶頂・中曽根から「ニューリーダー」たちへの「権力譲渡」】

ニューリーダーの台頭と中曽根の「画策」

田中の「死」は、2つの現象を生みました。

1つは、長老政治の終焉とニューリーダー次代の到来です。田中の退場は「角福戦争」の終了であり、福田の怨念による抗争もその意義を失っていきます。

そして福田から安倍へ、鈴木から宮沢へと派閥が継承され、そして事実上田中派を継承した竹下、この3人が台頭、「ポスト中曽根」とみなされるようになります。

もう1つは、なんといっても中曽根の権力増大です。なかでも田中から「衆院解散権」を取り戻したことは、中曽根の大きな強みになりました。

そのころ「仕事師内閣」を標榜していた中曽根の行財政改革「戦後政治の総決算」がいよいよ仕上げの時期にさしかかってきていました。

しかし、佐藤以後、党規約で総裁任期は2期4年まで(現在は2期6年)。このままでは中曽根のめざす改革は中途で終わってしまう。

中曽根は、自らの「仕事の総決算」を行うためには、総裁選挙目前に解散総選挙を断行して勝利し、「中曽根交代はおかしい」という世論を党内外からあげさせることを狙うほかなし、と考えるようになりました。

衆参W選挙での「大圧勝」と中曽根時代の到来

こうして1986年、史上2度目の衆参W選挙が行われ、自民党が衆議院で300議席を超える圧勝。

あまり争点もなく、また当初はやらないようにみせかけて、定数是正を行った後、急遽臨時国会を開いたことから「死んだふり解散」と呼ばれましたが、50%後半をほこる中曽根の支持率は、そんな批判を跳ね返し、大勝利をもたらしました。

議席だけでなく、絶対得票率(総有権者数に占める得票率)自体、67年衆院選以降下回っていた35%を上回る(37.9%)好調ぶり。「中曽根自民党圧勝」は、大きなインパクトをもって迎えられました。

結局、自民党は両院議員総会で中曽根の任期一年延長を決定。その後、懸案だった「国鉄分割・民営化」法案が成立。また、87年度予算案で中曽根念願の「防衛費1%枠撤廃」が実現(設定したのは三木政権)。

中曽根の力はとてつもなく大きいものに見えました。そして、この「三角大福中」から「田中依存」を経てここまでのし上がったこの「策謀の宰相」に対し、「プリンス」竹下・安倍・宮沢らニューリーダーはいかにも非力でした。

ニューリーダーたちはマスコミなどにたびたび出演(85年から『ニュースステーション』も始まり、「テレビ政治」が本格化)、存在感をアピールしますが、彼らには自力で中曽根を引きずり降ろす力はまだありませんでした。

売上税問題の挫折と中曽根時代の終えん

しかしながら、中曽根政権は「売上税問題」で大きくつまずくことになります。中曽根が導入しようとした一般間接税「売上税」が選挙公約違反であるとされ、国民の猛反発を受けることになるのです。

国会は空転し、補欠選挙や地方選挙は敗退。中曽根の支持率も25%近辺まで急降下。議長あっせんにより売上税法案は廃案に。

これで、中曽根がもくろんでいたとされる「任期再延長」はご破算に。こうして、中曽根時代の幕引きが始まっていきます。

中曽根は、同時代のリーダーであり、懇意にしていたレーガンがそうであったように、マスコミへのアピール力が、これまでになく強い首相でした。

それは、田中の途方もない「列島改造計画」などと違い、「行政改革」「三公社民営化」といった具体的なものを打ち出すことで、国民に「仕事師中曽根」というイメージを植え付け、それで長期政権を維持していきました。

しかし、自ら「レフトウイングまで広がった」と思った自民党の裾野はまだ「液状化した」ままでした。マスコミを味方につけて増幅した中曽根の力は、マスコミによってその力を奪われていくのです。

「中曽根裁定」によるニューリーダー時代の始まり

しかし、いっこうに「ポスト中曽根」をめぐるニューリーダーたちの抗争は始まりません。竹下・安倍・宮沢の3者とも、過半数を握ることができないまま拮抗します。

ここで、またまた登場するのが「自民圧勝の功労者」中曽根でした。ニューリーダーたちは、中曽根の支援を受けるために中曽根に最大限の協力をし、そして党外には「世代交代:リフレッシュ自民党」をアピールするため、かつてのような激しい抗争は控えていました。

そしてむかえた総裁選。ニューリーダーの3名とも立候補したものの、結局、調整の末、候補者を一本化し、その裁定を中曽根に委ねるということに。

なぜ、だれが、このような空気に持っていったのか。……とにかく激しい派閥抗争に身を置いていた中曽根は、竹下・安倍・宮沢よりも役者が一枚上だったということでしょうか。

結局、「中曽根裁定」により竹下内閣が発足。安倍幹事長、宮沢蔵相・副総理。なぜ中曽根が竹下を選んだか、竹下派が第一派閥であるという以上の理由はわかっていません。

ともかく、「ケンカのない」形で始まった新しい自民党。それはしかし、「密室政治」の始まりでもあったのでした。

「自民党の歴史(8)田中倒壊・中曽根裁定」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。

▼こちらもご参照下さい。
大人のための教科書 政治の超基礎講座

「政治の基礎知識・基礎用語」 政治の基礎的な知識はこちらでチェック!

◎自民党は「長老抗争」から「ニューリーダー時代」へ……


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