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自民党の歴史 田中の「死」・中曽根裁定(2ページ目)

ロッキード事件で有罪判決を受けながらも派閥を膨張させ、その権勢を見せ付けた田中角栄。しかし、思わぬところからの「反乱」そして「政治生命の終わり」へ。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【ロッキード解散・幻の「二階堂擁立劇」=田中権力の絶頂=田中権力の絶頂】
2ページ目 【竹下クーデタ「創世会」の旗上げと田中の「政治的な死」】
3ページ目 【絶頂・中曽根から「ニューリーダー」たちへの「権力譲渡」】

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【竹下クーデタ「創世会」の旗上げと田中の「政治的な死」】

「創世会」旗揚げと田中角栄の「政治家としての死」

85年2月、田中派の「ホープ」竹下登蔵相を中心とする勉強会として「創世会」が発足しました。田中派のなかでの「派閥中派閥」を竹下が作ったわけです。

これを支えたのが梶山静六、小沢一郎、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三、渡部恒三といった若手・中堅議員たちであり、そしてそのバックにいたのが二階堂のライバル的長老・金丸信幹事長でした。

この動きは、いち早く田中に察知されていたといわれます。そして田中はそうとう締め付けを行ったようですが、それでも衆参40名の田中派議員が創世会旗揚げに参加しました。

そして田中=竹下会談。とりあえず田中派と創世会の「同心円」状態が了承されました。もちろん、田中を中心とした同心円として。田中はまだ、閣僚経験者など「長老格」からの支持を受け、若手何する者ぞ、と、その意気は上がっていました。

しかしほどなくして田中は脳梗塞で入院。一命は取り留めたのものの、言語障害などが残ってしまう状況。これが明らかになると、田中がもはや永田町の「闇将軍」として権力を振るうことは絶望的という「事実」が自民党を覆います。

田中は判決の下る83年ごろから、しばしば体調を崩すようになっていました。前にも言いましたが、失脚後の過度の飲酒が、彼の体調を蝕んでいったのでしょう。

こうして、田中角栄の「政治生命」は突如として終わりを告げたのでした(実際の死去は引退・田中真紀子氏の衆院初当選後の93年)。

「田中の倒壊」は幸運だったのか必然だったのか

田中の突然の「倒壊」は竹下らにとっては幸運でした。しかし、これがなくても、いずれ軍配は創世会に上がっていたでしょう。

田中の派閥膨張策は、一方で彼の権力を大きくするはたらきをもちましたが、、一方で田中が派閥を掌握する力を大きく落としていました。

田中が「集金・配分」能力にすぐれ、多くの政治家を集めたことは前回で述べましたが、それだけが田中の人身掌握術ではありませんでした。

たとえば課長級の官僚でも、一回会えば名前と顔をすぐ覚え、次に会うときに名前を呼んで感激させる。こういった「人情味」もまた、彼の大きな政治家としての資質でした。これなくして、田中派の大膨張はおきなかったでしょう。

しかし、派閥の巨大化によって側近・長老格以外の中堅・若手議員にまで田中の「人情」が及ぶことがなくなっていきます。

そして彼らは、依然として自分たちの党が「キングメーカー」として影の存在でい続け、日なたの存在になれないことに不満を持つようになっていました。

その不満を、田中は結局押さえられなかったわけです。また、それを感じ取る鋭敏な能力も、歳とともに、また健康の悪化とともに、失っていったのかもしれません。

「田中角栄」という政治家の功罪……「功」

田中の政治家としての「功」は、戦後の日本保守政治の主導権を官僚から政治家・政党に取り戻したことにあるでしょう。

田中以前の自民党は官僚の政党でした。岸・池田・佐藤らは官僚OBでしたし、次の世代にも福田・大平といった官僚OBが控え、彼らが官僚主導の政治を支えていました。

しかし、実業家出身である田中が自民党の中心になって以降、政治の決定権は次第に官僚から政治家、自民党へと移って行きました。議員立法を相次いで成立させた田中の活動は、政策決定の主導を自民党に移すことに成功しました。

そのことは一方で「利益誘導型政治」の温床にもなるのですが……それでも、田中は政党本位の政治、大衆の要望を汲み取る政治の実現に寄与しました。これは、彼の「功」の部分でしょう。

「田中角栄」という政治家の功罪……「罪」

しかし、この「功」を成し遂げるため、彼は官僚と結ぶ「族」となり、「政官財」のトライアングルを作り上げ、政治プロセスを不透明にしてしまいました。

こうして政治家たちは、官僚の立案する政策が、自分たちの利益にかなえば、盲目的に擁護していくようになりました。形は「党高官低」(党の力が強く官僚の力は弱い)でも、実質的には官僚主導の政治が、より隠微(いんび)な形で行われていく土壌を作ったといってもいいかもしれません。

田中は実に人情味あふれる政治家でした。それが結局、「鉄のトライアングル」3者3様に利益がある構図を作る。それが田中の「よっしゃよっしゃ」だったのでしょうか。

この図式は、右肩上がりの成長を続けていた時代では、成立しえた制度でした。しかし、バブル不況後、つまり「みんなハッピー」の構図が崩壊した日本において、この制度は大きく軋むことになるのです。

ちなみに、もう1つの「罪」の部分、つまり金権政治については、ここでは取り上げるべくもないと考え省略します。次ページからは「田中の呪縛」から解き放たれた中曽根の絶頂と自民党の世代交代の様子を見ていくことにしましょう。

◎「執念の闇将軍」から解き放たれた自民党の雲行きは……?


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