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PKF(平和維持軍)とは?(3ページ目)

スーダンPKOにともなう日本初の「PKF」の派遣はどうやら見送りになりそうです。しかしこの際、PKOとPKFの違い、その歴史、そしてPKFをめぐる日本政府・外務省の思惑を知っておきましょう。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【国連憲章では想定外だった、PKO・PKFの活動】
2ページ目 【冷戦後のPKOの迷走、そして古典的PKOへの回帰と進歩】
3ページ目 【安保理常任理事国入りには軍事貢献が不可欠と考える外務省】

【安保理常任理事国入りには軍事貢献が不可欠と考える外務省】

湾岸戦争での「敗北」

日本がPKO参加をするようになったきっかけは、1991年の湾岸戦争です。日本の世論はこれに協力することに否定的でしたが、国際世論、少なくとも各国の政治エリートたちのほとんどは、日本が自衛隊を使った何らかの貢献をすることを期待していました。

そのため、日本政府が世論のはざまで迷走し、結局、遅いタイミングでようやく130億ドルの拠出と、掃海艇1隻を派遣して収めようとしました。しかし、これは海外政治エリートたちの間で「小切手外交」「日本は命を金で買う」と冷笑されました。

実際、日本の軍事力拡大に神経質な中国・韓国などを除いては、各国の政治エリートたち、それはアジアであっても、日本に何らかの軍事的国際貢献を求めています。マレーシアのマハティール首相(当時)は、1994年に「日本は常任理事国として他の理事国と同じ責任を負うべきである」と発言しています(『国連安保理と日本』R.ドリフテ著、吉田康彦訳、岩波書店より)。

また、シンガポールのリー・クワンユー元首相も、1991年、「日本のPKO軍事部門参加を認めることは、アルコール中毒患者にチョコレートを与えるようなものである」と発言しています(前掲書より)。

ともかく、湾岸戦争での苦い経験は、政府、特に外務省にとっては「太平洋戦争以来の外交敗北」という屈辱感を味わうことになりました。そのため、最低限の国際貢献として、PKO参加を行うことが、政府=外務省の方針となりました。

自民・公明・民社による「PKO法制定合意」

しかし、1990年代初頭は、まだまだPKO参加に対する国民の反発は強いものがありました。それどころか、与党自民党のなかにも、軍事的貢献への慎重論があったぐらいです。

あの小泉首相でさえ、1994年当時は「日本人は“異質で特殊な考え”をもっているのだから、国際社会は軍事面では日本人の“一国平和主義”を受け入れなければならない」と発言しているくらいです(朝日新聞1994年11月18日号、引用元は前掲書)。

それでも、政府=外務省はPKO法の制定に動きます。しかし、当時自民党から自民党は参議院で過半数割れしていたので、他党の強力が必要でした。そこで白羽の矢が立ったのが、公明党と民社党(現在はほぼ民主党に合流)です。

1990年には制定に向けて自民・公明・民社の三党合意が成立し、制定に向けて歩み始めます。しかし、国会審議は難航を重ね、最後には社会党の牛歩戦術も飛び出したりしますが、1992年、PKO協力法が制定され、PKO派遣が法的に可能になりました。

PKF派遣の「凍結」

ただ、このときの三党の協議の中で、「平和主義」を掲げていた公明党は、どうしてもPKOの後方活動参加には同意できても、いわゆる本体業務、すなわち自衛隊を部隊ごと送るPKFの派遣には消極的でした。

そこで、公明党の主張を取り入れるため、PKO協力法の中にはPKF派遣が行える旨を明記しましたが、「附則」として、以下の条文を追加しました。

第二条 自衛隊の部隊等が行う国際平和協力業務であって第三条第三号イからヘまでに掲げるもの又はこれらの業務に類するものとして同号レの政令で定めるものについては、別に法律で定める日までの間は、これを実施しない。(現在は削除)

これによって、PKFへの参加は「凍結」され、自衛隊員による後方支援や難民支援、非自衛隊員(文民)による選挙監視などが行われることになりました。

PKOの「成功」とPKF「凍結解除」

外務省にとって幸運だったのは、初の(実は先立って「第2次国連アンゴラ検証団、UNEVEM:II」 に三人の文民が派遣されている)自衛隊本格PKO派遣となったUNTACが、基本的に成功に終わったことです。

日本人死者(高田警視、文民)が出たことで一時は騒然となりましたが、日本人の明石康氏がUNTAC特別代表だったこともあり、次第に国民世論も柔軟になってきます。

それは、その後のPKO派遣をスムーズにし、いつしかPKO派遣は、ニュースにもならないようになります。

1998年、「国連タジキスタン監視団(UNMOT)」に参加していた秋野政務官(文民)らが殺害された時は、「平和に殉じた学者の悲劇」として、世論はおおむね同情的であったように思います。

これを背景に、自民党と政府は公明党にPKF凍結解除をもちかけ、公明党も同意、2001年にPKO協力法の附則2条が削除され、PKF派遣が法的に可能になりました。

PKFを安保理常任理事国入り条件と考える外務省

湾岸戦争のことがあるとは言え、ここまで政府、特に外務省がPKOにこだわるのは、理由があります。それは、安保理常任理事国入りをめざすため、PKOでの国際貢献が必要不可欠と考えているからです。

常任理事国入りは、国連加盟以来の外務省の悲願です。外交力が上がることはもちろん、日本がその後非常任理事国として9回(現在も入れて。ブラジルと並び最多)安保理に関わることで、安保理に常時いることのメリット(情報収集力の向上など)も学び、ますますその思いを深くしています。

そして、湾岸戦争での手痛い経験から、日本による軍事的国際貢献を、外務省は強く望むようになっているのです。

ODA(政府開発援助)の行き詰まりも、背景にあります。90年代常にトップだったODA拠出額も、景気の低迷という壁にあい、今は減少の一途をたどっています。昔はままにあった、「PKOがだめならODAで」常任理事国入りをめざすことは、遠くなる一方です。

このことが、90年代からのPKOの促進、そして今回のPKF派遣へとつながっていると思われます。

自衛隊員が「人を殺す日」

カンボジアのUNTACは、外務省にとっては「神風」だったといえます。結果的に成功したことによって、PKOは国民に徐々に受け入れられてきています。

しかし、これはあくまで自衛隊員が個人単位のグループで派遣された普通のPKO。武器をもっていくPKF部隊を派遣した場合、いったい何が起こるのでしょうか。想像は難しいです。

一番国民世論がどうなるか、読めないのが、PKFで自衛隊に死者がでることではなく、「自衛隊がスーダン人を(防衛のため)殺害した」ということが起きたときです。おそらく、外務省も測りかねているでしょう。

われわれは、「日本人が殺されるかも知れない」と思う前に、「殺すかも知れない」、その可能性があることを頭に入れ、この問題を考えていく必要があるのではないでしょうか。

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【逐次更新】最新トピックス 今、最も話題を集めている政治のことがらについての最新情報がわかる記事やサイトを集めています。逐次更新されますのでお見逃しなく。

海外メディア CNN・BBCなど海外メディアによる政治の情報・解説サイトまたはページ。韓国三大新聞の日本語版サイトにもリンク。

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