2ページ目 【先鋭化してきた領有権論争】
3ページ目 【尖閣諸島領有の根拠とは】
【先鋭化してきた領有権論争】
年々エスカレートしつつある中国活動家の動き
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そんなタイミングで、1972年、日中国交回復がおこなわれたのですが、当時の田中角栄首相と周恩来首相の間で「尖閣諸島問題には触れない」という暗黙の了解があり、このときは領有権問題が浮上することはありませんでした。1978年に締結された日中平和友好条約でも、領有権問題は棚上げされました。この間、日本は公式に領有を主張する台湾とは国交を断絶しています。
また、1972年沖縄が返還され、同時に尖閣諸島も日本の施政権下にもどりました。しかし、このあと尖閣諸島の領有問題についてアメリカが「中立」の立場をとったのは、日本にとっては痛手だったかもしれません。
結局、「領有権棚上げ」は中国が尖閣諸島の領有主張をとりさげたわけではなかったのですね。1992年、中国は「領海法」を公布し、このなかでいきなり尖閣諸島の領有を法制化してしまいます。外交的には論争を棚上げしながら、国内的には尖閣諸島の領有を既定事実化してしまったのですね。
日本もこれに対抗する形で、1996年2月、200カイリ経済水域(領海ではないが、優先的に水産・海底資源を開発できる権利をもつ海域。くわしくは「カスピ海は海か湖か?」 「たいへんな状況の日本最南端」をご参照ください)の設定に尖閣諸島を含める閣議了解をします。
このころから、中国や台湾の活動家の活動が活発になってくるのですね。日本政府が尖閣諸島の領有を改めて「了解」した年の9月、香港の活動家がまずは上陸を試み(これは失敗、死者もでる)、10月には香港・台湾・マカオの合同グループが上陸を果たすのですね。
これに、特に右翼的な人びとが強く反発します。1997年には当時新進党(現在は民主党)の西村真悟衆院議員が尖閣諸島に上陸します。これに対し、中国は公式に「中国の主権への侵犯である」と抗議をすることになります。
その後も日本の右翼団体が上陸したり、中国の活動家が尖閣諸島海域に侵入したりしていたのですが、とうとう尖閣諸島に上陸した中国の活動家たちが、沖縄県警に不法入国の疑いで現行犯逮捕されるにいたったわけですね。
これには中国民衆が激しく反発、日本大使館前でデモ行進をやったり、日本の国旗を焼いたりして激しく抗議しました。同時に日本の右翼団体も反発を強め、尖閣諸島への上陸を一時試みたりしています。
しかし、両国関係の悪化を懸念する日中両政府は、反発・抗議運動の沈静化に乗り出しています。中国の他の活動家たちの尖閣諸島上陸計画は中国政府の意向がはたらき取り止めとなり、日本も右翼団体の上陸の動きをけん制して断念させました。
だんだんエスカレートしてきた尖閣諸島問題。はたしてお互いの領有の根拠は? 次のページで、解説してみましょう。