焼物のふるさと探訪シリーズ Vol.4
唐津焼を訪ねて
リフォームフェアin福岡でのキッチンリフォーム講演を終えた翌日、
博多駅から地下鉄とJR筑肥線を乗り継いで唐津まで行きました。
博多駅から地下鉄終点の姪浜まで約25分、
姪浜から唐津まで17の駅があり約65分かかります。
福岡空港から唐津までの直行乗り入れ電車で、
姪浜から快速になる電車も本数は少ないのですが、
乗り換えがなくもう少し短時間で行けて便利です。
姪浜を過ぎてしばらくすると、それまでビルやマンションの谷間だったのが農村地帯に風景が一変します、玄界灘に続く博多湾を右手に見ながら唐津に向かいます。唐津が近づくと右手は唐津湾。 台形の珍しい形の高島を過ぎると唐津城が遠望できます。
JR九州・唐津駅、日曜日の昼前ですが人影はまばら・・・。唐津目当ての観光客の姿はほとんどない。
唐津駅構内にある観光案内所も閑散としている。
唐津駅南口の駅前には場違いとも思われるような「近代図書館」がそびえている。明治時代の洋館と見まがうような折衷様式のこの建築ができたのは平成4年だそう。
写真を見るまで気づかなかったが駅前公園の欅が少し色づきはじめている。この日の東京の気温は30度を超えていたが、唐津は最高24度と上着を着ていて丁度良い心地良さ。ずいぶん南の国と思って地図を拡げてみると唐津市は北緯33度27分・東経129度58分に位置し、大阪市が北緯34度41分・東経135度30分、東京都が北緯35度41分・東経139度41分だから北緯で比較すると、大阪、東京と1度づつしか違わない。
唐津駅の北口右手には、これも新しくできた「ふるさと会館・アルピノ」がある。
北口正面には、昔懐かしい趣きの駅前食堂がある。
駅前食堂のインテリア!!なんと言うレトロな店内!何十年使われてきたのかしっかりと床に脚をつけているデザインは感動もの。これだけしっかり歴史を刻んできた家具デザインは、今の東京では浅草方面の下町にでも行かなければまず見られない。
唐津市は、福岡県でなく佐賀県にあり、南西に隣接して伊万里市があります。この町の名前は中国大陸(唐)との窓口ともなった港(津)の意味があり、早くから開けていた地域だったのが魏志倭人伝に末盧国と記録されていることからも分かります。遣唐使の時代もこの町は唐に向かう窓口だったようです。
170メートルあるアーケードの呉服町商店街が北口駅前から伸びる。
商店街の中は人影もまばら・・・。中には4軒の唐津焼を販売する店があるが、どこも客はいない。
唐津焼の歴史は古く室町時代の頃から始まったそうですが、秀吉が中国(明)の征服を目指して遠征する途上,李氏朝鮮と戦った文禄・慶長の役で朝鮮から大量に連行してきた陶工たちが伝えたものです。
南に下った陶工たちは有田焼や伊万里焼などの「磁器」を焼き、唐津に残った陶工たちは侘びやさびといった茶道に通じる「陶器」の制作に専念した。
このような歴史が茶道における1楽・2萩・3唐津という詫び茶碗としての地位を確立している。
全国的に問題となっている駅前商店街のシャッター通り・・・。呉服町アーケードも全店舗の約1/3の店のシャッターが降り、「貸店舗」の張り紙が貼られている。これだけ深刻な状況への処方せんは何もないのだろうか?このまま5年も経てば、この通りから店は無くなってしまうだろう。
駅前に残る丸通の運送屋。ドアには生命保険の代理店の表示が並び運送業を営んでいる雰囲気はない。
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