八百屋お七
「鈴ケ森刑場跡」 (品川区南大井二丁目:大経寺)
「お七の墓」 (文京区白山一丁目:円乗寺)
あれこれ異説は多いようですが、天和の大火 (天和2年:1682年12月28日) による類焼で 「お七」 の家が焼け、菩提寺の円乗寺 (または正仙院) に避難したとのこと。当初は 「お七」 も被災者だったわけです。
その避難先で知り合った寺小姓の佐兵衛 (または吉三郎、または生田庄之介) と恋仲になった 「お七」 は、佐兵衛に会いたい一心で天和3年3月2日の夜、自ら火を放ったのです。
翌3月3日に町奉行に引き渡された 「お七」 は、3月18日から11日間、他の罪で捕えられた雷電七郎右衛門らとともに、神田の筋違橋で 「晒の刑」 に処せられました。ここには見物の群集が押し寄せ、 「お七」 のことがかなりの評判となったようです。
そして3月29日に江戸を出され、品川宿の先、大井村の鈴ケ森で火炙りの刑が執行されました。そこは 「鈴ケ森刑場跡」 の史跡として、現在も大切に管理されています。
しかし、 「お七」 が焼け出された12月の大火が 「お七火事」 と呼ばれたり、 「お七」 のモデルとなった別の放火事件があったとする説もあるようです。
怪談の舞台となった地は、いずれも創作上のものか、あるいは史跡などの形で保存されているもの。怪談の地のそばに建つ住宅を購入しても、その怨霊に祟られることはどうやらなさそうです。将門の首塚周辺にはそもそも住宅はありませんけどね。
● 関連記事 (夏の特別企画)
江戸・幽霊坂の謎
江戸っ子になるにはどこに住む?
「不動産売買」 ガイドのメールマガジン (無料) は、不動産に関する最新情報をはじめ、さまざまな話題を取り上げながら、毎月2回皆様へお届けしています。