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江戸っ子になるにはどこに住む?(5ページ目)

今年は江戸開府400年。でも肝心の“江戸の町”がどこまでだったのかは意外と知られていません。そこで現在の東京でどこまでが江戸かを探ります。

執筆者:平野 雅之


浅草
(あさくさ) の浅草寺 (せんそうじ) といえば、飛鳥時代から1300年以上も続く江戸随一の古寺だったらしく、寛永寺が開かれるまでは幕府の祈願寺も浅草寺だったとのこと。

それはさておき、幕府の政策もあって江戸の市中には寺社が林立し、町内の小さな稲荷まで含めたら、一説にはその数、数万ともいわれるようです。寺社地の面積も江戸市域の1割5分から2割程度を占めたとのこと。

これが明治初めの廃仏毀釈や神仏分離政策で、大きな寺社は縮小され、その数もぐっと減ったのですが、それでも明治5年の調査時に寺院だけで2,486寺もあったとのことです。

つまり現在の都心部にある住宅の敷地をたどれば、かつて寺社地だったところがかなり多いことになりますが、江戸時代には身分の低い者が死ぬと、その死体を寺社に投げ込むことが当然のように行なわれていたようです。江戸期を通じて、ひとつの寺に延べ2万人を超える死体が投げ込まれたところもあったのだとか。

そうでなくても、江戸の大半が焼けた明暦の大火 (1657年:明暦3年) では10万人もの人が亡くなり、それ以後も大火や大地震による被害が繰り返されています。それ以外でも、1733年 (享保18年) には大飢饉と疫病の流行で数万人の死者が出ています。

時代が変わり東京となっても、関東大震災、東京大空襲で多くの犠牲者を出しています。江戸以前には古戦場だったところも多いわけですから、かつての江戸の土地で、非業の死を遂げた人が出たことのない土地を探すほうが難しいくらい。もっとも、調べること自体がほとんど無理ですけどね。

霊感の強い人が江戸の地に住むには覚悟が必要かもしれません。



壱頁 ≪江戸の歴史
弐頁 ≪風水による町づくり
参頁 ≪江戸の町ってドコ?
四頁 ≪江戸幕府による正式見解では?
五頁 ≪霊感のツヨい人へのオマケ≫



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