夢の街チェスキー・クルムロフ
街から見上げた聖ヴィート教会(右上)とチェスキー・クルムロフ城(左上)
13世紀、ヴィーテクがボヘミアの森をはじめて開墾し、分家の領主クルムロフがゴシック建築の小さな城を建築した。やがてロジェンベルク家がこの地を引き継いだ。木材が豊富だったのはいうまでもなく、この地では特に銀が豊富に産出した。街の中心を流れているブルタヴァ川はラベ川と合流し、その後エルベ川に合流する。これを利用した河川貿易によっておおいに栄えることになった。
ロジェンベルク家、エッゲンベルク家、シュワルツェンベルク家と持ち主が変わるたびに城は増築・改修を重ねられ、ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ等々、時々の様式が混在する独特の建築様式を完成させた。
チェスキー・クルムロフのランドマーク、フラデークの塔 ©牧哲雄
この隆盛も19世紀までだった。20世紀に入ると産業革命の波がヨーロッパを襲い、農村と手工業の時代から都市の時代へと移り変わった。ボヘミア山中の街は都市としての発展も見込めずにやがて放棄され、廃墟となって打ち捨てられた。オーストリアの画家エゴン・シーレは「死の街」という一連の作品を発表しているが、その街こそ母の故郷チェスキー・クルムロフだった。
しかし、廃墟になったおかげで工業化による改築や戦争による破壊から免れて、当時の姿をそのままいまに伝えることができた。1989年のビロード革命以降の民主化によって「死の街」は急速に再興し、人々はこの復興を「眠れる森の美女の目覚め」と評したという。