そもそもなぜこういうイベントをやるの?
「東京プライドフェスティバル」のサイトには、新生TOKYO Prideがめざすもの(ミッション)を表現した言葉が掲げられています。
「多様な私たちをつなぎ、あらわしながら、社会の中へ」
「パレードもフェスティバルも、このミッションのための活動です。でも、公道を歩くパレードが『あらわす』ということを象徴しているとするなら、広場で大勢の人たちともに過ごし、ともに楽しむフェスティバルは、『つなぐ』ことを一番の目的としていると言えるかもしれません」とのことです。
ゲイやレズビアンは、見た目ではわからないので(わかりやすい人もいますが、みんながそうではありません)、黙っていたら「いない」ことにされてしまいます。ストレートの人も、時には当事者もいっしょになって「ホモ」とか「レズ」の悪口を言ったりする社会は本当にイヤだし、会社をクビになったり、殺されたり(新木場事件を思い出しましょう)、愛する人と幸せに暮らせないという悲劇に対し、ただ泣き寝入りするのではなく、たくさんゲイやレズビアンがいるということを示し(あらわし)ながら、声を上げていかないと、ということだと思います。
同時に、仲間どうし楽しみながら、孤立しがちな人たちを「つなぎ」、コミュニティの力を強めていくことが、もう1つの目的なんだと思います。
世界中で、たとえ人口数万人の小さな街でも、LGBTのプライドパレードが開催されています。アメリカやヨーロッパだけでなく、台湾や香港、マニラ、バンコクなどでも開催されています。
また、パレードと広場でのフェスティバルがセットになっていたり、フェスティバルが単独で行われることもあったりします。
そういう意味で「東京プライドフェスティバル」は世界標準なプライドイベントであり、国内だけでなく海外のゲイコミュニティにも知られ、意義がすぐに伝わるようなものだと言えます。
また、すでに砂川さんのインタビューが出身地の新聞(沖縄タイムズ)に掲載され、たぶんNHKさんなども当日取材に来られると思いますが、今やメディア(に代表される世間)も、このイベントに注目しています。
LGBT当事者と世間とを「つなぐ」イベントでもあるのです。
もしかしたら強引かもしれませんが、もう1つ、ゴトウの思うところを述べさせていただきます。
米国でゲイの政治家として初めて様々な権利を勝ち取った伝説のハーヴェイ・ミルク(来月から映画『ミルク』が公開されます。レビューを近いうちにお届けします!)や、世界中に「時代の変革」を感じさせたオバマ大統領はよく比べて論じられます。彼らは「これ以上ゲイが苦しんだり職を追われたりしなくていいんだ」とか「もう黒人(やゲイ)が二級市民扱いされない時代が来たんだ」という「希望」を与えてくれる存在でした。
「東京プライドフェスティバル」もまた、そうした「希望」を与えてくれるような、僕らの幸せへとつながるような祝祭だと、僕は思っています。僕らが蔑まれたりせず、誇りを持って生きていけるような、「ゲイに生まれてよかった」と思えるような「ハレの日」なのです。
一文の得にもならないのに、身を粉にしてこのイベントをやろうと決意した砂川さんは、ハーヴェイ・ミルクやオバマ大統領にも通じるような、人々に「希望」を与える存在…と言ったらおおげさでしょうか?
そして、砂川さんだけでなく、周りのスタッフの方も、スポンサーの方も、みんな少しずつ、「希望」という名の聖火を灯すリレーに参加しているのです。
後藤は東京プライドフェスティバルを応援したいと思います。
プライドイベントは僕らの「希望」の象徴です。これは2007年、尾辻さんへの「おつかれさま」の拍手の場面です |