紹介から結婚式までの母親の気持ちの変化
最初は父と同様、心の中では全面的に賛成はしていなかったであろう母。今では確実に変わっているのが分かります。父を亡くしてから結婚式までの2年の間に、既にゆるやかな変化があったし、スイスに行き、向こうの親族全員に会えたことも大きかったでしょう。思いがけず同居することになった今では、母も彼も、もうすっかり家族です。いや、むしろ、母親に対しては何かと厳しい娘たちよりも、いたわってくれる彼と一緒にいる時のほうが、母はホッとしているかも……。こんな変化を見られたのも、母が元気でいてくれたからこそ、です。
父親と納得できるまで話し合いたかった
父がこの家にいたら、家族のバランスは微妙に違っていたでしょう。でも、楽しく二世帯で暮らしている現在の様子を見たら、父もきっと喜んでくれていると思います。ただ、それは、私が勝手に、自分の都合のいいように、思っているだけにすぎません。賛成しないままに父は逝ってしまった、というのが現実なのです。生きていてくれれば、いくらでも話し合えた。バトルもあったかもしれないけど、乗り越えていける自信はあった。彼のことをもっとよく知り父の気持ちが変わっていく様子を、タテマエではなく心から「ようこそ!」と言ってくれる姿を、私は見たかったと今でも思っています。
父とは、自分の人生観や結婚観なども話し合ったことがありませんでした。そんなことも話してみたかった。たとえお互いの話が噛み合わなくても、自分の考えを知ってほしかったし、父の人生観・結婚観なども聞いてみたかったと思います。
こういうきっかけでもないと、おそらくそんなことを話題にする機会はなかっただろうと思うから。
叔父さんのくれた言葉
2003年11月に他界した叔父(父のすぐ下の弟)は、結婚式のときに、私たちにすごく素敵な言葉を贈ってくれました。「この結婚をいちばん喜んでいるのは、光代ちゃんのおじいちゃんだと思う」
今でも忘れられない言葉です。意外だっただけに、思わずウルウルきてしまいました。
祖父は私が4歳の時に亡くなりました。とてもモダンな人だったそうで、世の中のほとんどの人が着物を着ていた昭和初期という時代に、洋服屋を始めた人でした。しかも屋号は当時珍しいカタカナ。活動的で好奇心も旺盛だったようです。あの時代にフランスパンが好きだったというのだから驚きですよね。
幼かったため、祖父の記憶はおぼろげですが、とてもかわいがってもらったことは覚えています。だから祖父のお墓参りもよく一人で行っていました。その祖父がいちばん喜んでくれているだろうという叔父の言葉。
臨終の場に立会い、旅立っていった叔父に涙の別れをし、心の中であの時の祝辞のお礼を言ったとき、ふと思いました。
「もし父が生きていて、結婚式に出席し、叔父の言葉を聞いたらどう思っただろう……?」
外ヅラのいい父だから、心底賛成はしていなくても、結婚式には普通の顔で出ていてくれたでしょう。そのとき、この叔父の言葉を聞いたら、きっと心を動かしてくれたと思うのです。そして、遠方から来てくれた彼のご両親に会い、叔父をはじめ親戚の人たちがみんなで祝福してくれている様子を見たら、きっと気持ちが変わったと思うのです。そこまで私は見たかった。このように考えてみると、叔父もまた、確実に私に味方してくれる身近な存在の1人でした。