歴史的な格差婚の成功例
ハンサムで有能なアルバート公を演じたのは、男前ルパート・フレンド。彼女はあのキーラ・ナイトレイです。(C)2008 GK Films,LLC All Rights Reserved |
その後、女王への即位、イギリスの不況や女王自身の不人気など困難な状況を迎えつつ、ヴィクトリア女王はアルバート公にプロポーズ(女王には、誰も求婚できないのです)し、1839年に婚約、翌年1840年2月10日に結婚しました。
その結婚式でヴィクトリア女王は、「純潔」を表した白いウェディングドレスを着て、妻としての誓いの言葉の中にある「服従」も省くことなく誓いの言葉を述べました。これは妻として「貞操と服従」を誓うものですが、何せ誓うはイギリスの女王。この「服従」という言葉を省くこともアドバイスされたようですが、ヴィクトリア女王自身が1人の女性として約束すると言ったそう。またガンコで強情だった女王も、結婚後はしおらしい女性になろうと努力したそうです。それだけアルバート公に惹かれてたのでしょう。
一時はアルバート公の政治関与により、夫婦間がぎくしゃくした時期があったと言われますが、すぐに修復され、公私にわって良いパートーナー関係だったそうです。その仲を表すかのように、2人は9人の子どもに恵まれ、ヨーロッパ各国に嫁いでいます。アルバート公が42歳で亡くなったとき、ヴィクトリア女王は悲嘆にくれ、長期にわたり喪に服したそうです。
ヴィクトリア女王のウェディングドレスは次ページで詳しく説明します。