運命的な出会いが重なって、万華鏡作家になりました
先端のオイルワンドを別売りのもの(写真右上)と交換すれば、映像もガラッと変わります。自家製ガラスピース・スワロフスキー・外国製ビーズ・アンティークビーズなど、様々な色や形のオブジェクトがオイルの中で動いて映像が常に変化し、同じ映像は二度と現れません。(OW-6「犬張子」:古裂袋付き。ガラス胎七宝。税込13,650円。85×50×20mm。携帯電話より小さいです) |
ガイド:
「みずあめや」という名前の由来は何ですか?
みずあめや:
名字から一字とって「みず」、(妹)朝美の「あ」、(姉)恵の「め」。名字と二人の名前を一字ずつとりました。
ガイド:
「万華鏡」を作るようになったきっかけは?
みずあめや:
10年程前、二人で渋谷へ買い物に行った時、立ち寄った本屋の前で何やら不思議な展示会が行われていて、ガラスをはじめ様々な素材で作られた豪華な万華鏡がたくさん展示されていました。単なる玩具ではない本格的万華鏡との出会いはこれが初めて。その時は二人とも学生で持ち合わせがなく、購入できずに帰ったのですが、この出会いは衝撃的でした。昔からガラスが好きだったので、ガラスで作られた万華鏡に強く惹かれたんです。
姉の恵さん。「ほとんどの作業を二人でやりますが、特に分担があるとすれば、ミラーのカットは私、古裂袋の縫製は妹、七宝焼は絵柄によって担当が違います。万華鏡・古裂袋・ワンド、3つのイメージがマッチしないとだめですが、そこは姉妹、価値観や好みが似ているので作品制作でぶつかることはほとんどありません」 |
どうして姉妹で作品を作ることになったのですか?
みずあめや:
その後、偶然見ていたテレビ番組で万華鏡作家が紹介されて、二人とも「万華鏡を作りたい!」と思ったんです。残念ながら、テレビに登場した先生を覚えていなかったんですが、情報収集をして見つけた工房がたまたま自宅の近くだったので、すぐに工房を訪問。それが師匠である万華鏡作家 代永正樹氏 との出会いでした。ところが、テレビで紹介されていたのは代永先生ご本人だということが判明!まさに運命的な出会いですね。でも、先生ご自身の制作が忙しくて工房が閉鎖されることになってしまって…。ガラスを切るのもやっとという二人でしたが、何とか学んだ技術を活かして万華鏡を作れるようになりたいとの一心で、自宅の一室を潰して作業場を作ってしまいました。狭い3畳半の作業場でしたが、試行錯誤を重ねるうちに現在の万華鏡が誕生し、妹の退職をきっかけに「みずあめや」を正式に結成することになったんです。
……こうして2001年・姉妹で万華鏡作家の道を歩み出し、アート系フリーマーケット出展をきっかけに2004年・百貨店催事にデビュー。その後、数々の催事で活躍中。
この万華鏡が、どこかで誰かを癒して幸せになってほしいから…
妹の朝美さん。「機嫌や体調が悪いと姉妹喧嘩になることもありますが、お互い言いたい事を100%言い合うのでスッキリ。喧嘩後の切り替えが年々早くなってきました」 |
全て手作りだそうですが、大変な作業でしょう?
みずあめや:
はい。中のミラーが大変デリケートですし、ガラスはとても気まぐれな素材なので、扱いには本当に苦労します。特に七宝作品は、釉薬とガラスの相性が合わないと失敗してしまいますし、釉薬の量や窯の温度調節などには微妙な匙加減が必要です。袋も古布ですから、洗浄中に布が裂けたり、繊維が溶けてしまったり。骨董市などで苦労して探し求めた布が、袋にならずにお蔵入りしてしまうことも多いんですよ。万華鏡も古裂袋もひとつひとつ手作業なので、制作にとても時間がかかります。
ガイド:
では、作品を作っていておもしろいところは?
みずあめや:
手間や苦労が多い分、完成した時の満足感が大きいんですよ。とにかく1点1点手作りなので、毎回微妙に違ったものが出来上がり、作っていて飽きません。手がかかる分、全ての作品に愛着がありますから、送り出すときにはちょっぴり淋しくなりますが、そうして世に送り出した万華鏡が、どこかで誰かを癒し、幸せな気分にしているかもしれないと思うと嬉しいです。
続いてアーティストとしてのこだわりや購入方法など…… >>>