♪~灯りをつけましょぼんぼりに。
お花をあげましょ、桃の花。
ご存じですか、ひな祭りとお蕎麦の関係
華やかな風習、ひな祭り。
その昔、江戸時代にはひな祭りの翌日にあたる三月四日に、そばを食べる「雛そば」の習慣がありました。
三月四日は、雛祭りのために飾った人形を仕舞う「雛納め」の日にあたるわけです。お雛様を仕舞うのが遅れると、お嬢さんの婚期が遅れてしまうということで、どのご家庭でも必ず三月四日には、お雛様を片づけたのでした。
今風の小振りなお雛様とはちがって、旧家で飾るようなお雛様は、何段もの飾り段をもつ立派な物で、それを来年のために仕舞うのは、なかなかの重労働であったはずです。
それがゆえに三月四日にそばが振る舞われたのかどうかは定かではありませんが、いつしか三月四日にそばを食べるという習慣が江戸の風俗として定着してまいりました。
江戸の製粉技術の発達で、雛そばがお洒落に
寛永三(1626)年には、真っ白い御前粉がふるい分けられたことを示す川柳が発表されていますので、少くともこの時代以降、急速に変わり蕎麦がブレイクしたことが想像できます。
変わり蕎麦は、さらしな粉(御前粉)をベースとして、さまざまな色合をもつ素材を打ち込んで拵えるアートであります。残念ながらそばの香りが全くしないため、そばとしては決して美味いものではないですが、その色とカタチを賞でるにはうってつけの素材といえます。昔から、お武家さんたちにもてはやされておりました。
最初のうち、雛そばは、たぶん雛納めのマカナイとしてごく普通のそばが提供されてきたと思うのですが、時代がどんどん下っていくと、雛人形やミニチュアの調度類がどんどん贅沢になっていくにつれ、マカナイとしての意味が薄れて、カタチの美しさに走るようになったのでしょう。絢爛たるひな壇の前でいただく変わり蕎麦、江戸のセレブだけに許された、さぞかし見事な風習だったに違いありません。
菱餅みたいなトリコロールのそば、素敵でしょ
それゆえ雛そばは、三月三日に目出度く三と三が重なる重三の縁起から、白いさらしなそば、緑の茶そば、赤い海老切りそばと、菱餅の色遣いを模した三色そばが贅沢に使われることが多くなったそうです。
雛が無事に仕舞われると、翌日の五日あたりは啓蟄(けいちつ)。春の跫音が、すぐそこまで迫って、心が浮き立つような季節へと移っていきます。
いまでは、すっかり廃れてしまいましたが、綺麗な色にあふれた風習なので、腕に自信のある方は、今日さりげなく復活させてみるというのも、お洒落なのではないかと思います。