スイーツ・デザート/スイーツ専門店・パティスリー・洋菓子店

「ラデュレ」が銀座三越に日本初進出(2ページ目)

パリの老舗店であるラデュレのサロン・ド・テが、ついに日本初上陸。 2008年7月26日に、東京・銀座三越にオープンしました。マカロンはもちろん本場パリの味を楽しむことができます。

下井 美奈子

執筆者:下井 美奈子

スイーツガイド

ラデュレの歴史

写真をクリックすると次の写真に進みます
陽が降り注ぐ明るい店内
(c)Ladurée
ラデュレ ロワイヤル店(Ladurée Royale)

パリのサロン・ド・テの歴史はラデュレ家の歴史と密接に関係しています。

始まりは1862年、フランス南西部出身の製粉業者、ルイ=エルネスト・ラデュレ(Louis Ernest Ladurée)がパリのロワイヤル通り16番地にブランジュリー(パン屋)を開いた時のことです。

当時マドレーヌ寺院周辺は新興ビジネス街として栄え、フランスで屈指の高級職人たちが、ここを拠点にしていました。

1871年、オスマン男爵がパリ改造計画を行い、パリが大きく変わりつつある時代におきた火災によって、ブランジュリーはパティスリーに生まれ変わることになりました。

新たにできたパティスリーの内装は19世紀末の有名なポスター画家、ジュール・シェレ(Jules Cheret)に託されました。彼はシスティーナ礼拝堂やオペラ・ガルニエの天井画に使われた浮き彫りの技法を取り入れ、天井に奥行と立体感を出しました。 中でも、“パティシエ天使”はメゾンを象徴するデザインに影響を与えています。

(c)LADURÉE

第二帝政(ナポレオン3世)の頃、パリではカフェが発達し、マドレーヌ界隈のシックなレストランとともに、パリで最も名高い待ち合わせ場所となりました。パリの上流社会の人々は、熱心にカフェに通い詰めるような時代になりました。

20世紀の初めには、パリでは人々が外出や娯楽を好み、さらにパリ万国博覧会により、人々がパリに集まりました。また女性の考え方も変わり、彼女たちは新しい人々との出会いを求めるようになっていきました。

この頃エルネスト・ラデュレの妻でフランス・ルーアンの有名なホテル経営者の娘のジャンヌ・スーシャルは、パリのカフェとパティスリーという2つの異なるジャンルをミックスさせることを思いつき、こうしてパリ初のサロン・ド・テのひとつが誕生しました。

サロン・ド・テにはカフェよりも明らかに優れた利点がありました。それは女性たちが、自由に来ることができる場であるということです。

1930年、ルイ=エルネスト・ラデュレの従弟、ピエール・デフォンテーヌによって2Fのサロンがオープン。

そしてダヴィッド・オルデーとオルデーグループの創設者である父フランシス・オルデー(Francis Holder)は、この由緒ある洗練された店に魅了され1993年に名高い老舗を買収。メゾンをさらに大きくしていきます。
(c)LADURÉE
ラデュレ・シャンゼリゼ店(Ladurée Champs Elysées)入口


1997年9月、シャンゼリゼ大通り75番地にラデュレ・シャンゼリゼ店をオープン。 シャンゼリゼ店は、ナポレオン3世様式の特徴である古い時代の大理石や浮彫装飾、また2階にある高価な調度品で飾られた一続きの小さなサロンなど、パリ随一の場所といえます。

さらにサンジェルマン・デ・プレ(Rue Bonaparte)にオープン。続いてロンドン、モナコ、ジュネーブ、ロザンヌ、そして東京銀座とラデュレは今、世界へと広がりつつあります。

  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 10
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます