ゲーム音楽の進化
古代祐三『ザ・スキーム』。一説にはゲーム本編よりサントラのほうが売れたといわれる伝説の一枚。 |
国内で主流だったPC-8801、PC-9801などといったNEC製パソコンでもFM音源が搭載されたり、富士通製FM-TownsやX68000はマルチメディア性能が非常に強調されたパソコンだった。MSXもゲーム用機能が強化され、コナミなどのゲームメーカーも注力していた。
パソコンのゲーム音楽といえば古代祐三氏抜きでは語れまい。
彼はファルコムにアルバイトとして入社後、『イース』『ソーサリアン』の作曲でゲーム業界の度肝を抜いた。繊細で耳に残るメロディー、独特の音色、豊富な音楽性。
自力でサウンドドライバまで作成してしまう彼は、スーパーファミコンの『アクトレイザー』の作曲で、当時『ファイナルファンタジーIV』の音楽を担当していた植松氏を唸らせた。
スーパーファミコンではPCMという音源が採用され、ギターやピアノなど、生の楽器に近い音が出せるようになった。しかも同時発生音数は8音。ファミコンとは比べ物にならないほどのリッチな環境である。
しかし唯一の足枷があった。それは容量。
豊富な音色を贅沢に使えばそれだけ容量を食うが、スーパーファミコンはROMカセットである。まだまだ容量との戦いの時代であった。
続いてゲーム音楽に大きな進化が訪れるのは、PCエンジンやメガCDなどのCDメディアがゲームに採用されてからである。
しかし、それはある意味「ゲーム音楽終焉の幕開け」でもあった。
ゲーム音楽であるということ
1980年代のゲーム音楽がとりわけ評価されるのは、「PSG音源・FM音源など独特の音色を使いこなし、厳しい制限のある中で生み出された音楽」だからである。少ない発声数で印象に残る旋律・音色をやりくりした結果、ゲーム音楽のムーブメントが起きた。現在でも「チップチューン」として受け継がれるそのムーブメントだが、ハードの進化でその制限が取り払われれば、そこに残るのはドラマや映画と同等の劇音楽である。
というわけで、ゲーム音楽は「制約を楽しむもの」からより高度な、イージーリスニングやポップス、映画音楽などと肩を並べる存在に昇華していった。
ビープ音や抵抗器による効果音に過ぎなかった「ゲームにおける音の要素」が、音源やメモリという制約の中でゲーム音楽へと進化し、やがて開放された。
現在のゲーム音楽とは、どのようなものなのだろう?