福原愛=7位
<予選リーグD組 2位>
福原3-4姜華君(中国)
福原4-2桑亜嬋(香港)
福原4-2辛秀禧(韓国)
<決勝トーナメント1回戦>
福原2-4范瑛(中国)
<5~8位決定戦>
福原3-4王珊(中国)
<7、8位決定戦>
福原4-1柳絮飛(香港)
福原愛は「ふたつの相手」と闘っていたような気がする。
ひとつは対戦相手である。とりわけ中国から出場した3人の選手だ。優勝した世界21位の范瑛は第5セットから戦術を変え、浮き気味の深いカットを両サイドに散らしてきた。小技を封じられ、ロングで対抗せざるをえなくなった福原は「打ちミス」を誘われた。
世界16位の姜華君、45位の王珊は、ともにがっしりした体型のシェークハンドドライブ型。福原はピッチ打法とナックル性のブロックで揺さぶるものの、台から距離をとって繰り出してくる両ハンドのパワードライブに苦しむ。姜華君には3-1と王手をかけたもののタイに持ち込まれ、最終セットは4-0のリードから逆転を許した。王珊には、逆に最終セット0-4から追いついたものの、6-6での「痛恨の一本」を境に一気に振り切られた。結果的には、パワーで押し切られたといえるだろう。
確かに中国選手は強かった。戦術の徹底性と、それを支える高い基本技術がある。その相手にあと一歩まで詰め寄った。「けっこう満足している」という福原のコメントもわからなくはない。しかし、勝てない相手ではなかったように思う。カットの范瑛はともかく、姜華君、王珊には、世界選手権パリ大会のころの彼女であれば勝っていたかもしれない。じゃあ、彼女は「退化」したのか。いや、違う。むしろ「進化」したからこそ勝てなかったのだと言いたい。進化したからこそ、もうひとつの相手が現れたのだから。
もうひとつの相手──それが観客である。「フラッシュを使用しての撮影はおやめください」というアナウンスが何度流れたことだろう。「愛ちゃん、がんばって~」という、彼女への声援というよりは、場の笑いを誘うかのような声があがったり、彼女の視線をのぞきこむようにして手を振る人もいた。そういった観客の反応に、福原は戸惑っているように見えた。ボールに集中し切れないのだ。彼女には珍しく、戦術が途切れ途切れとなり、「目先の1点」を追いかけてしまったように思う。
パリに行く前の彼女が卓球界のアイドルだったとしたら、パリから戻った彼女はスポーツ界のヒロインになった。その本人が目の前にいる。福原愛が北九州で試合をする機会は多いとはいえず、このチャンスを逃したら……と考える人がいても不思議はないだろう。しかし、「スポーツへの敬意」が失われたかのような挙動言動が試合中にまで及ぶとなると、彼女への同情を禁じえない。
プロ選手にとってファンはかけがえのない存在だ。それは彼女も十分に理解している。しかし、哀しいことに、時として闘う相手にもなってしまうところに、この国のスポーツの淋しい状況がある。いまこそ、福原愛は「自分」と闘うときなのかもしれない。