意外に思える日本との深い縁
「しゃぶしゃぶとお寿司が大好き」と話すシャラポワは、日本への遠征を楽しみにしている。それは、日本食が食べられるという単純な理由だけでなく、出場するトーナメントでは好成績を残すことが多い。「自分は日本と縁があるみたい」とシャラポワ自ら語っている。シャラポワがプロ転向後、初の優勝を飾ったのが日本。2002年ITFサーキットの群馬県で行われた「草津国際女子テニス大会($25000)」で、シャラポワは、プロ初のタイトルを手にした。プロ3年目、2003年には10月に東京・有明で行われた「AIG OPEN」で、WTAツアー初タイトルをつかんだ。翌2004年の「AIG OPEN」は2連覇を達成。そして、今年2月に行われた「東レPPO」でも優勝を飾る。
こうした数々の優勝の中でも、2003年の「AIG OPEN」のツアー初優勝を決めた試合は、語り継がれる一戦と言ってもいいだろう。あの一戦は、シャラポワの精神力の強さを見せつけた試合だった。
チャンピオンの素質
「AIG OPEN」の決勝の相手は、128位のアニコ・カプロスだった。この対戦では、シャラポワが圧勝するかと思われた。しかし、1stセットをカプロスに6-2奪われるという予想外の展開に。2ndセットはシャラポワが6-2で取り返し、タイに持ち込む。そして勝負はファイナルセットに持ち越された。試合前には、多くの人がシャラポワの勝利を予測していた。しかし、タイブレークでリードし、最初にマッチポイントを握ったのはカプロス。そのマッチポイントを何とかのがれ、試合はファイナルセット、タイブレークへと突入。
とはいえ、タイブレークに入ってもカプロスの勢いは止まらず。シャラポワはタイブレーク2-5と、あと2ポイントを取られれば優勝が遠ざかってしまうという窮地に立たされる。しかし、シャラポワの真の強さは、ここから発揮された。
あと2ポイントを落とせば、敗れるという場面で、シャラポワが選択したのは「攻め続ける」ということだった。ミスを恐れずにハードヒットを繰り出すシャラポワの姿は、「絶対に勝てる」という執念を感じさせた。
シャラポワは2-5から5ポイントを連取し、ついに逆転でツアー初タイトルを手にしたのだった。優勝の記者会見で、シャラポワはこう語った。
「優勝できていちばんうれしいのは、自分がチャンピオンになる素質を持っているということを、自分にも観客のみなさんにも証明できたことです」
そのとき、シャラポワは弱冠16歳。しかし、その言葉どおり、翌2004年にはウインブルドンのタイトルを手にし、今年はランキング?1。
2003年、154位からスタートしたWTAランキングは32位にまでジャンプアップ。2004年には、チャンピオンズシップスで優勝し、世界トッププレーヤーとしての地位を確実のものとした。
そして、2005年8月22日。シャラポワはついに念願だった頂点に到達。これ以上の上はない。女王として臨んでいるUSオープンでは、2度目のグランドスラムタイトルを手にすることはできるだろうか……。
一足先に収入ランキングは女子No.1を獲得
今年の8月に女子テニス世界ランキングで念願の世界1位の座を射止めたシャラポワであるが、テニスランキングよりも一足早く2004年の女子アスリート収入ランキングで堂々の1位を獲得している。額にして年収23億円。父親とともにアメリカに移り住むこと約10年。まだ9歳だった幼き少女は、今や世界一強くて、世界一綺麗で、世界一稼ぐ女性アスリートとなった。21世紀最初のシンデレラストーリーはこうして最初の盛り上がりをみせている。