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美しさに隠された努力と苦悩… 美しき女王、マリア・シャラポワ

今やテニスファン以外でもシャワポワの名を知らぬものはいないであろう。USオープン直前に念願のランキング1位を奪取。女王の女王たる所以を探りつつ、日本とシャラポワの意外な繋がりも言及してみたい。

執筆者:伊藤 一幸


世界?1を手にしたマリア・シャラポワ

ランキング1位になったシャラポワ 画像提供:ダイワ精工株式会社2005年のUSオープンも、2週目に突入した。大会も終盤に近づき、盛り上がりを増している。だが、今年のUSオープンは、開催前にすでに全世界からの注目を集めていた。

その理由は……USオープン開催の前週、マリア・シャラポワが念願だったWTAランキング?1の座を手にしたからだった。

2001年にプロに転向したシャラポワは、2003年にはWTAツアー初タイトルを手にした。2002年に186位だったランキングは、3年後には4位に、そして今年、ついに1位。

2004年のウインブルドンでは、グランドスラム初優勝を遂げている。しかし、そのときにもあくまでも「夢は?1になること」と語っていたシャラポワは、まさに階段を駆け上がるようにしてその夢を現実のものとした。

間違えてはいけない。シャラポワに奇跡が起きたわけではない。彼女は自分の夢の実現のために、数々の苦労を背負い、上を目指して日々努力し続けたことが今のシャラポワを生んだのだ。

才能を発掘したのは、ナブラチロワ

1987年4月19日に、ロシア・シベリア地区で生まれたマリア・シャラポワは、4歳のときに父の手ほどきを受けテニスを始める。6歳のとき、モスクワで開かれたイベントに参加したマリアの才能を見出したのは、あのマルチナ・ナブラチロワ。環境の整ったアメリカで本格的なトレーニングを受けることをナブラチロワに助言されたのだ。

シャラポワはナブラチロワのその言葉を信じ、アメリカへの移住を決断する。裕福な家庭とは言えなかったシャラポワ家。ナブラチロワの助言を受けてから3年の間、金銭面の問題をクリアするために両親は多大な苦労をしたと言われる。

そしてマリアが9歳のとき、父と二人で渡米。フロリダにある「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に入門し、本格的なトレーニングを始めることになる。

渡米した後も、マリアのテニス生活が順風満帆に進んだというわけではなかった。言葉も分からず、環境にも馴染めない中で、いじめられたこともあった。彼女の持つ精神力の強さは、そうした逆境を乗り越えたことで得られた産物なのかもしれない。

さまざまな困難の中でも、マリアはテニスで成功する夢を決して諦めることはなかった。2001年、14歳の誕生日を向けると同時にプロに転向。その後、一気にトップへの階段を駆け上っていった。

>>次のページではシャラポワと日本の意外な「繋がり」を紹介>>
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