「日本の“力道山”という存在になりたい」
――タイガーさんにとって、強さの秘訣とは?「そうだな。とてつもない肺活量だな」
――肺活量ですか?
「プロレスをやり始めた頃、ペンシルバニアで戦った時に、バトルロイヤルで2時間5分戦い続けたことがある。他の連中はくたばっても、俺は生き残った。それは俺にとって、非常に簡単なことだ。強いだけじゃダメなんだよ、呼吸が戦いの基本だからな」
――では、本題に入りたいと思います。ネパールでプロレスを勃興しようとした理由というのは?
「まず、自分はアメリカでプロレスを学んだし、どういうふうに訓練を積めば強くなれるのかも分かっている。丁度、ネパールでも強くなりたいと思っている人が大勢いて、中にはレスリングをやっている人もいる訳だ。
だとすると、自分の経験を、その人達に伝えることは大変意義のあることだし、無償でトレーニングをさせてあげていることもそうだ。結果的に、これがネパールでのプロレス開催に繋がったという訳さ」
――本当に全てをゼロから始めたのですね?
「最初は、自分のやってきた経験を広めてあげたいと思っていたが、最近は少し考え方が広がってきた。俺は、ネパールに最初にプロレスを持ち込んだパイオニアとして、日本の“力道山”という存在になりたいと思っているんだよ」
――タイガーさんが最初にネパールで大会を開催したのは何年のことですか?
「2004年6月に第一回目の大会を行ったよ」
――それはどんな大会だったのですか?
「当時、大会前には、俺の元に色々な人が相談に訪れた。その中の一人に、鳥のブロイラー屋がいて、彼は鳥インフルエンザに頭を悩ませていたんだ。だから俺は、弟子達と一緒にリングに上がって、そこで生きている鳥を食べたんだ。“鳥インフルエンザなんて関係ない”ってな」
――プロレスとは全く無関係ですが、すごいエピソードですね。
「当時の鶏肉は、鳥インフルエンザの影響で、1キロ65ルピー(約130円)くらいまで下落していたんだが、その翌週には、俺たちのパフォーマンスのお陰で、140ルピーまで値上げされたな。
ただ、当時のカトマンズ市長は、“余計なことしやがって”って怒っていたよ。“もし誰かが本当に鳥インフルエンザにかかったら責任取れるのか?”って苦情もきたしな」
――それはそうですよ・・・。[後編に続く]
◆後半は、3月27日掲載予定!~紛争真っ只中のネパールにおいて、プロレス興行勃興はどのようにして行われたのか?そして、その反響とは?
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