「プロレスが天職だと直感した」
紳士的な立ち振る舞いや丁寧な口調で接してくれたヒマラヤンタイガー。この日も、数々の武勇伝を教えてくれた |
「20人くらい応援にきてくれたんだけど、グレイトだったよ」
――今回、タイガーさんが来日するきっかけとなったのは?
「靖国のリングに上がることができたのは、色んな人に出会ったからなんだけど、具体的には、FBI-ジャパン(フリーバーズインターナショナルジャパン)の方々がサポートしてくれたお陰なんだ」
――日本に行こうと決心したのは?
「俺が日本にきた本当の理由は、ネパールに日本のプロレスを持っていきたいからなんだ。更に言えば、ネパールのカトマンズでは多くの人がプロレスを求めているからね」
――ネパールにプロレスという文化を持ち帰りたい?
「もちろん、その通りだ」
――その話を聞くには、プロレスとの出会いを聞かなければなりませんね。
「プロレスと出会ったのは、俺が軍を除隊して後にアメリカへ渡った時だ。1992年のことさ。ケーブルテレビでプロレスを観た時に、これが天職だと直感した。そして、現地で色々調べてジョニー・ロッジのトレーニングジムを見つけた瞬間、迷わずそこへ飛び込んだよ」
――アメリカに渡ったきっかけというのは?
「皆、アメリカンドリームを追いかけていたんだな。最初は、俺も同じだったさ。当時、国連の平和維持軍でレバノンにいた時に、軍から21日間の休みをもらって観光していた。だが、次にアメリカへ行った時はあらゆることを学ぼうとしたんだよ。ビジネス、教育、なんでもやるつもりだった。そして、その頃には、軍を除隊して赤十字軍にも所属していた」
――そうしてアメリカで、タイガーさんの師、ジョニー・ロッジと出会う訳ですね。
「最初は、アメリカンドリームを追いかけたが、天職であるプロレスに出会ってしまったからな。そして、自分の名付け親でもある“ゴッドファーザー”ジョニー・ロッジと出会って、俺はプロレスに命を捧げたんだ。彼はいつも“お前の国、ネパールに行ってみたい”と言ってくれる。だが、今、ネパールは内戦中で情勢が不安定だから呼べないんだ」
――しかしながら、なぜ、プロレスに興味を持ったのですか?
「自分は最強だ。だからこそ、プロレスをやっても余裕だと思ったんだよ。しかもこっちの人間は、ネパールのことを知らないだろうから、自分の国を知らしめたかったというのもあった。だから、試合に出ればネパールの旗を持って母国をアピールし、尚且つ、自分の強さを見せ付けたのさ」
――タイガーさんは、もともとは軍隊にいたそうですね。そこではどのようなトレーニングをしていたのですか?
「若かりし頃、1976年6月に軍の入隊した。毎朝、長距離を走って、軍の教育を受け、ジャングルを山の上まで走っては、岩場をよじ登った。毎日がトレーニングさ。俺は強いが、過酷な訓練が俺を強くしたんだ。その訓練を積めば、どんな困難も大したものじゃないってね」